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賛燦山90  麗子さんの魅力

 麗子さんと言えばだれを想像しますか?私のカミさんではありません。

 一昨日25日(月)の日本経済新聞の「文化」欄に「岸田劉生麗子像と母・麗子」というテーマで書いた娘さんの岸田夏子さんの記事があり、面白かったので紹介します。

 

★岸田麗子さんのエピソード

・1914年、劉生と蓁(しげる)の長女として生まれる。

・劉生は麗子の誕生を日記に記した。「終(つい)に女児生る。嬉しかった。只嬉しかった」。

・劉生は麗子をモデルに油彩画や素描など約70点を描く。

 

・幼い麗子にとってモデルを務めるのは大変な作業だった。正座の痛みにもじっと堪えた。 

・劉生が一生懸命描く姿を見ると、邪魔してはいけないという思いやりがあった。

・麗子は遊ぶことなく、学校からも真っすぐ帰り、モデルを務めた。

・母の蓁は、「座るたびしわが違う」と言う劉生のため、針と糸で着物を縫い付け、同じようなしわができるようにした。

・麗子は父との時間を過ごしながら美的な感覚を養っていった。

 

・母としての麗子は明るいところしか見たことがない。

・後年、金銭的に苦しい時期があったことも知ったが、透き通った声で歌い、朗らかだった。

・子どもたちに「こうしなさい」と指図しなかった。

・夏子さんが、画家と別の道で進路を悩んだ際、「年齢を重ねて深みが増す仕事に就きなさい」とだけ言った。

・夏子さんが画家になることを決めた際、口では言わないが喜んでくれているのが分かった。

 

・女性の教育についても先進的な考えを持っていた。

・夏子さんが小学生の頃、父母会で「女の子に教育を受けさせても嫁に行くのだからつまらない」と発言した男性に対し、真っ向から反対し、教育の大切さを説いた。

 

・1951年に新宿区に引っ越してからは、子どもも手が離れ、一層自分の関心を深めるようになった。

・平塚らいてうや神近市子などの講演会に行くようになった。

・48歳で亡くなるまで画家として展覧会に出品を続けた。

・演劇に熱中し、小説も執筆した。

・劉生の回顧展があれば立ち会った。

・麗子像を背負って生きていた。

・来場者は麗子像を見て、それから珍しいものをみるかのように母を見た。

 

 東京国立美術館で4月7日まで劉生さんと麗子さんの作品が並べられているそうです。いかがですか?