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賛燦山9 横山大観の魅力

 昨日は、宝島社の広告を振り返ってみました。新聞によって違う広告を出すことにインパクトがありました。

 今年の広告では、私は読売新聞の「横山大観」の富士山の絵の方に惹かれました。

 そこで、今日は早速、横山大観について調べてみました。

★横山 大観のプロフィール(Wikipedia)

・本名は横山 秀麿(ひでまろ)、旧姓は酒井、幼名は秀松。

・常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)出身。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。

・1868年(慶応4年・明治元年)、水戸藩士・酒井捨彦の長男として生まれた。

・1888年、母方の縁戚である横山家の養子となる。

・1889年、東京美術学校に第1期生として入学。岡倉天心、橋本雅邦らに学ぶ。

・父は画家になることに大反対。卒業するまで書籍の図版を模写するアルバイトで生活費と学費を得た。

・卒業後は京都に移って、雅号「大観」を使い始める。

・1896年、母校・東京美術学校の助教授に就任。(2年後辞職)

・インド、欧米で展覧会で高評価を受けて、日本国内でも「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる線描を抑えた独特の没線描法を評価され始める。

・画題としては富士山を好み、富士山を描いた作品は2000点を超える。

・1958年(昭和33年)2月26日、東京都台東区にある自宅にて89歳で永眠。

・大観の脳は現在もアルコール漬けにされた状態で、東京大学医学部に保管されている。

 

★横山大観のエピソード(Wikipedia)

・大変な酒好きとして知られ、人生後半の50年は飯をほとんど口にせず、酒と肴(少量の野菜)だけで済ませていたという。

・飲んでいた酒は広島の「醉心」。毎日約1升もの酒を飲んでいた。

・東京美術学校の同期生である菱田春草とは無二の親友

・没線画法は、岡倉天心に「空気を描く工夫はないか」と問われ、春草らとともに考え出した。

・晩年80代の頃は、歌手の笠置シヅ子が好きで、「東京ブギウギ」や「買物ブギー」のレコードを愛聴していた。

 

 昨日の作品は、「乾坤(けんこん)輝く」という作品で、純白の山肌と日輪の赤がとっても印象的ですよね。

 大観が画業50年の節目(1940年)が紀元2600年で、それを祝す中、霊峰と旭日という日本の象徴を精魂込めて描き上げた一作なんだそうです。

 

 大観は「春、夏、秋、冬ばかりでない、朝、昼、夜とまた自ら異なっている」と、様々な表情を見せる富士の絵をたくさん描き、亡くなる直前に仕上げた作品も富士だったそうです。

 足立美術館に行くのが楽しみになりました。