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No弐-956 ハチ公生誕100年の真実

  先週11月10日(金)日本経済新聞の「文化」欄にあった「忠犬ハチ公 真の物語」(学芸員 松井圭太さん)の記事が目に留まりました。

 今年の定例「5月のがるべる」は、「第2弾東大学園祭ツアー」でした。帰りに農学部に立ち寄り、「ハチ公と上野英三郎先生の像」を見て帰りました。その時にこんなことを紹介しました。

★ハチ公と上野英三郎先生

・1924(大正13)年1月、秋田県大舘市で生まれた秋田犬ハチが、生後50日で鉄道で小荷物として運ばれて、東大農学部教授の上野英三郎博士のところに来た。

・博士は、体の弱かったハチを細心の気遣いをして育て、可愛がり、大学や渋谷駅にいつも送り迎えをさせていた。

・ハチが飼われ始めて17か月、1925(大正14)年5月21日、博士が大学で急死。

・この日、迎えに行ったハチは博士に会えず、博士の最後の着衣を置いた物置にこもって3日間何も食べなかった。

・ハチはその後、朝夕に渋谷駅に通い、改札口から出てくる人々の中に博士の姿と匂いを求め続け、死ぬまで10年間も待ち続けた。

・1934(昭和9)年、渋谷にハチ公の銅像ができる。

 

 誕生は諸説あるのですが、ここでは、1923年11月になっています。なのでこの11月で生誕100年になるわけです。

 学芸員の松井さんが調べる中で、ハチ公の物語にキーパーソンである上野夫人(坂野八重子)の遺族を見つけられたことが謎を解く大きな一歩となったそうです。

★上野夫人

・博士は幼少期病弱で、先は長くないと考え、早くから結婚しないと決めていた。

・夫人も養女に入った坂野家の後継ぎで、姓を変えられない事情があり、籍を入れなかった。

・夫人は優しい人で、博士の弟子たちを母親のように気にかけ、弟子からも慕われていた。

・ハチもことはわが子のように大切にした。

 

・夫人は博士の死後、家を出なければならず知人宅に居候する。

・ハチは連れていけなかったので、自分の親戚に預けた。

・その後、夫人はハチと博士の弟子達から贈られた世田谷区の一軒家に住み始める。

 

★小林家

・しかしハチは博士を探すように渋谷に出かけるようになり、駅近くの渋谷区富ヶ谷に住む植木職人の小林菊三郎に託された。

・恩人の形見として、ハチを大切に育て、自分の子の夕飯はコロッケでも、ハチには肉を与えた。

・ハチは子どもたちのよき遊び相手で、家族で愛情を注ぎ育てた。

・渋谷駅からハチの帰りが遅いと菊三郎が迎えに行った。

・1935年3月8日、長女は登校すると先生からハチの死を知らされ、早退し泣きながら駅に向かった。

 

★渋谷駅

・上野博士は渋谷区の松濤の自宅から帝大農学部のある目黒区駒場まで徒歩で通い、ハチは送り迎えをした。

・「農業土木学の父」とも言われる博士は長期出張も多く、その際には渋谷駅を使った。

・渋谷駅で待てば博士は長旅から帰ってくると考えて駅に通ったのだろう。

 

★青山の墓

・東京・青山にある博士の脇にはハチもともに眠る。

・夫人は61年に死去したが、生前墓石横の灯篭下近くに埋葬を望んだが叶わなかった。

・2013年、ハチの生誕90年に合わせて開いた特別展をきっかけに話が進展し、16年に夫婦とハチは泉下で「再会」を果たすことができた。

 

 さらに10月23日(月)毎日新聞にはハチの解剖結果が載っていました。

★ハチの死因

・胃袋には竹串が4本あったことが記録されている。

・死因は、フィラリア症が有力視されていたが、2011年に改めてMRIや顕微鏡で調べたところ、肺や心臓にかなり大きながんが見つかった。

 

 忠犬ハチ公の話は、永遠に語り継いでほしいと願う一人です。