今日も4時に起きてラグビー・サモア戦を応援しました。バスケットボールの時のように後半少しハラハラしましたが、勝ててよかったです。
今日は、ラグビーで熱くなったので、日本代表の主将になった姫野選手に注目してみたいと思います。
① 「主将・姫野、弱音さらし団結」(9月8日、日本経済新聞)
・その人事は抜てきに近い。姫野和樹がラグビー日本代表の主将に指名されたのは、今大会の約1か月前。
・各年代の主将を張ってきた生粋のリーダーではない。
・直前の就任のため、準備期間も短く、いわば未完成の代表主将。
・23歳で桜のジャージに袖で通してから6年。名実ともに日本の顔。
・ジェイミー・ジョセフHCの信任も厚く、19年W杯でもチームリーダー陣の一人。
・本来は周りを引っ張るタイプではなく、大学時代は怒られてばかり。
・転機はトヨタ入社1年目で初めて主将。チームを良くするために何もできないことが悔しく、部屋で泣いていたこともある。ノートに向き合い、自分の気持ちを書き連ねた。
・苦しみながらも前向きな発言とプレーで鼓舞する自分なりのリーダー像をつくりあげていく。
・自分の弱さを素直に言葉できるところは、主将としての長所。
・「ラグビーは15人で補い合い、助け合うスポーツ」
・「自分の弱さを認められない人のほうが、すでに負けている」
・「リーチみたいなキャプテンになりたい」弱音をさらけ出すことで周りが助けてくれる。
② 「頂点への道 姫野の覚悟」(9月9日、読売新聞)
・「命をかけるくらいの覚悟。主将として選択を迫られるときもあるが、みんなを信じていきたい」
・前回W杯は全5試合に先発出場。タックル後の局面で相手のボールを奪う「ジャッカル」でチームのピンチを救い、力強い突進で攻撃に勢いを与える。
・大会後、ニュージーランドへ武者修行に出て、代表のトップ選手らの統率力を肌で感じ、「パッション(情熱)」を前面に出す大切さを知る。
・自らが最大限のパフォーマンスを発揮することでチームメートを鼓舞するリーダー像を描く。
③ 「力をくれた 駄菓子屋のパン」(9月10日 朝日新聞)
・小学生のころから通っている駄菓子屋が名古屋市中村区にある。
・今春、店に顔を出した際、「勝つことしか考えてない。おばちゃん、見とって」と決意を口にした。
・中学でラグビーを始めてからも、卒業まで店に毎日のように通う。
・ベーゴマで、おばちゃん(66)が指定する技を披露すると、店で使える10円券などの特典が得られた。
・消費期限当日のパンは午後から半額になり、日が暮れる頃には、子どもたちに無料で振る舞われた。姫野選手もそのパンを楽しみにしていた一人。
・自著「姫野ノート 『弱さ』と闘う53の言葉」には「子どもの頃、家にはいつもお金が無かった。恥ずかしくて悔しかったし、日々の生活も自分の将来も不安だった」
・本の中では、「友達や先生とともに駄菓子屋のおばちゃんたちがいてくれたから、道を間違わなかった」とも記した。
・これまで支えてくれた人への感謝とともに「今度は僕が、そのお返しをしなければいけない」「僕よりずっと辛い思い、苦しくて大変な思いを抱えている子どもがたくさんいるはずだ」「僕の背中を見て欲しい」と呼びかけている。
・有名になっても、地元に帰ると近所の神社で手を合わせ、店に立ち寄る。
④ 「あえて『失敗』成長の源」(9月16日、日本経済新聞)
・原動力は中学時代の恩師から学んだ「失敗しても立ち上がり、挑戦し続ける力」
・ラグビーを始めたのは名古屋市の中学で顧問だった松浦先生(46)から誘いを受けたのがきっかけ。
・入部時に買ったスパイクのサイズは28.5㎝。
・「天性の足腰の強さとバネ」があり、中学2年の時には競技経験者の先生も突破を止められなくなった。
・精神的には未熟な面もあり、練習中にチームメートにけがをさせることを心配した先生に「本気を出すのは試合だけ」と言われると、我慢できずに練習を投げ出し、グランドを去った日もあった。
・「お前の課題は心の弱さだ。心を鍛えて常に一流であれ」が先生が何度も伝えた言葉。
・「一流」な人とは、「倒れても、跳ね返されても、失敗しても立ち上がり続け、何度もチャレンジすることの価値が分かる人」と理解した。
・W杯で日本で最も有名なラグビー選手に一人になり、その後のトヨタ自動車で安定した活躍を続けたが「もっと失敗したかった」と心境を振り返る。
・あえて失敗しそうな舞台に挑むため、「スーパーラグビーズ(NZ)」に期限付きで移籍。
・日本のトップ選手として結果を残さなければならに重圧と慣れない海外生活のストレスを乗り越え、リーグの新人賞にも選ばれた。
姫野選手を益々応援したくなったでしょ?
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