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No弐-907 鉛筆雑学

 昨日、朝日新聞に連載されている「学校の『アレ』」は今」から「HB鉛筆」を紹介しましたが、さらに鉛筆への関心が高まったので、Wikipediaで調べてみました。

 

★鉛筆

・筆記具・文房具の一種。

・顔料を細長く固めた芯(鉛筆芯)を軸(鉛筆軸)ではさんで持ち易くしたもの。

 

★名称

・明治初期の日本では「木筆」などとも呼んだが、のちに「鉛筆」と呼ばれるようになる。

・一説に「lead pencil」(鉛の筆)からの訳語であるという。

・日本語で「鉛筆」という場合、シャープペンシルは含まない。

英語で「pencil」という場合、「黒鉛を芯とする筆記具の総称」としてシャープペンシルを含むことがある。

 

★特性と用途

・鉛筆は筆記・書写・描画、製図などに幅広く使用される。

・通常の鉛筆の筆跡は消しゴムを用いれば消すことができ、そのため公的な書類などには用いることができない場合も多い。

・消しゴムが発明されたのは鉛筆と比べ、かなり後世になってから。それまではパン屑を使用。

 

★使用法

・鉛筆と記録する紙の成す角度は60°程度。

・日本、アメリカの市販鉛筆は通常は削られていない。

・削られている状態で市販されている鉛筆を、「先付鉛筆」と呼ぶ。ヨーロッパの市販鉛筆は基本的に先付鉛筆。

・通常、HB・2B・3Hなどの硬さの表示のある方は削らない。こちらを削ると、使用時に硬さがわからなくなってしまう。

・両端を削ることを地方によっては貧乏削り・泥棒削りと呼ぶ。

 

★構造

・鉛筆芯は黒鉛と粘土を練り合わせて焼き固めたもの。

・色の濃さは気温の影響を受け、同じ硬度でも夏期には濃く、冬期には薄くなる。

・黒鉛の粒子を細かくすることで書ける距離を伸ばすことができ、一本の鉛筆で約50kmほどの線を引くことができる。

・硬度表記を考案したのは18世紀末のニコラ・ジャック・コンテ。当初芯の硬さに番号をつけ、一番硬いものを1とし、軟らかくなるにつれて番号を増やして表したが、普及せず。

・HとBの記号を最初に使ったのは、19世紀初めのロンドンの鉛筆製造業者ブルックマン社。

・アメリカ合衆国では、硬さを番号でつけている。コンテとは番号のつけ方が逆。

・日本では1942年から45年ごろまで、ローマ字による硬度表記を敵性語とし、漢字表記に置き換えた。二軟(2B)、一軟(B)、中庸(HB)、一硬(H)、二硬(2H)

・日本では、JISが定めた 6Bから9Hの17種類が存在。

・三菱鉛筆は10Bから10Hまでの全22硬度の製品(2008)、ステッドラーは12Bから10Hまでの全24硬度の製品(2019)を製造。

・マークシートが使われている大学入学共通テストでは、H、F、HBの黒鉛筆の使用が指定。

 

★鉛筆軸

・軸の長さは17.5cm程度のものが多い。

・軸の断面には円形、三角形、星型などいろいろあるが、正六角形がもっとも一般的。

・赤鉛筆を含む色鉛筆の軸の断面は、円であることが多い。

 

★歴史

・黒鉛を使った鉛筆が最初に記述に現れるのは、1565年のスイスの博物学者コンラート・ゲスナー。

・1610年までには、ロンドンの市場で鉛筆は普通に売られていて、現代のように削って使用する鉛筆は、1616年までに発明された。

・記録に残るこの種の鉛筆の最初の製造業者は、ドイツのフリードリッヒ・ステッドラー(のちのステッドラー社の創業者の先祖)

・鉛筆削りは19世紀の終わりに発明された。

 

・日本では鉛筆は、17世紀初頭に徳川家康が最初に使用したといわれる。久能山東照宮で、硯箱に入った状態で発見。

・20世紀の終わりに、日本で伊達政宗の墓所・瑞鳳殿から鉛筆発見。副葬品の中から見つかったので政宗の愛用品と考えられている。

・日本で最初の鉛筆の量産は、1887年に東京の新宿で、真崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)創業者・真崎仁六によって開始。

 

 いかがですか?日本で最初に鉛筆を使用した人は?鉛筆って何種類?鉛筆1本で何キロ書ける?・・・いくつか使って「授業のまくら」にしてみてはいかがでしょう?