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No弐-892   ラグビー再燃1

 昨日は、大相撲秋場所が始まり、夜にはラグビー・ワールドカップ日本の初戦・チリ戦を見て応援し、終了後バスケットボール・ワールドカップ決勝に興奮しました。久々のスポーツ三昧、テレビ漬けでした。

 4年前もラグビーW杯を通して、ラグビーのあれこれを紹介したのを思い出しました。今日、明日はその記事を読み返し、ふり返ってみたいと思います。

 

★キャッチコピーと代表条件 No451 ラグビーW杯(2019年9月20日) 

・日本大会の公式キャッチコピーは、「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」

・代表選手 ラグビーは「国籍主義」ではなく、所属する「協会主義」。①出生地が当該国②両親、祖父母のうち一人が当該国出身③当該国で3年以上継続居住。(2020年12月31日より、36ヶ月(3年)から60ヶ月(5年)に変更、累積10年間でも可)このどれか一つを満たせば、その国の代表になれる。

 

★日本ラグビー発祥地 No457 ラグビーW杯2(2019年9月26日)

・ラグビーは英国の名門「ラグビー校」で1823年、フットボールの試合中にエリス少年がボールを抱えて走ったのが起源。(今年で200年ですね。)

・日本ラグビーの発祥の地は、横浜。1866年1月英国人らによって山下町公園近くに「横浜フットボールクラブ」設立。アジアで最古のラグビーフットボールクラブに認定。

・横浜で外国人によるラグビーが盛んになったのは、幕末の生麦事件が大きな要因という説。生麦事件は、1862年攘夷論を唱える薩摩藩士が横浜で英国人を切り殺した事件。

・開港後、横浜に移り住んだ外国人の間に不安が広がり、大量の兵士派遣。若い兵士たちは訓練で様々なスポーツに取り組み、交流を深め、一定の人数が必要なラグビーも可能になり、盛んになる。

 

★日本ラグビーのルーツ No458 ラグビーW杯3(2019年9月27日)

・日本では、1899年に慶応の学生が国内で初めてプレー。慶応大ラグビー場には記念碑が建てられている。

・1899年(明治32年)秋、慶応大の英語講師だったクラーク先生が体を持てあましている学生にラグビーを教えようと思いつき、ケンブリッジ大で一緒にプレーした田中銀之助さんにコーチ兼通訳として協力を仰いだのが始まり。

・田中銀之助さんは「日本ラグビーの父」と称され、「今日はフェアに戦ったか」が口癖。

・慶応蹴球部の「希求三箇条」 ①身・心・知・極限の鍛錬 ②切磋琢磨からの友情 ③社会の範たる品格

 

★ラグビーの芝 No459 ラグビーW杯4(2019年9月28日)

・日本大会の決勝の舞台になったのが、横浜国際総合競技場。Jリーグの横浜F・マリノスのホームスタジアムで、「日産スタジアム」という呼称で親しまれている。

・選手が激しくぶつかり合うラグビーの場合、サッカーで使われる芝より耐久性が必要。

・芝の管理は、季節にあった夏芝と冬芝の割合の兼ね合い。この夏は梅雨明けが大幅に遅れ、夏芝が思うように伸びず、逆に冬芝が増えたので、8月に約3分の2を予備のハイブリッド芝に張り替えた。