今日は4月2日(日)日本経済新聞「サイエンス」にあった「ナイチンゲール」に注目してみました。
ナイチンゲールを知らない人はいないと思いますが、どんな人かご存知でしたか?
★恵まれた教育環境
・1820年5月12日 イタリアのフィレンツェで誕生。
・幼少期は、外国語、ギリシア哲学、数学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、絵画、心理学、詩などの教育を受ける
・20歳の時、数学の勉強を熱望。大学に進学したいとこと一緒に学ぶ。
★クリミア戦争
・19世紀の半ばのクリミア戦争の惨状を伝える新聞記事に心を痛めた。
・1人の上流階級出身の英国人女性が看護師団を結成。
・英軍がトルコに開いた病院で働き、毎夜、ランプを手に傷病兵の様子を見て回る。
・負傷した兵士を献身的に看護する姿は「クリミアの天使」と呼ばれ、国民の尊敬を集めた。
・兵士の多くはけがではなく、病院でコレラや赤痢に感染して命を落としていた。
・軍幹部の無理解に苦しみながらも、病院内の清掃、寝具や包帯の交換と洗濯に取り組む。
・3カ月ほど経つと、40%以上あった死亡率は5%ほどに下がった。
★統計学の先駆者
・終戦後に本領を発揮し、近代看護学の礎を築いた。
・軍の衛生問題を改善させるため、旧知の仲の政治家らの支援を得て、ビクトリア女王を味方につけた。
・武器になったのは統計学の知識。
・政治家や官僚は統計学に馴染みがなく、分析結果を表にしても読む人がいないので、視覚的に一目で分かるように工夫した。
・当時、統計学は体系化されたばかりで、棒グラフも珍しかった。
・ビクトリア女王に提出した報告書には「コウモリの翼(バッツ・ウイング)」や「鶏頭図」と呼ばれる円グラフが使われた。現在のレーダーチャートの先駆け。
・クリミア戦争の毎月の死亡原因
①色分け 負傷(赤)、感染症(青、緑)、その他(黒)、②面積(死亡者数)
・出征した兵士の死亡率が同年代の民間人より高いことも示した。
・作成した図表は広く報道され、国民の関心が高まり、上下両院で軍の衛生改革が討議された。
・1868年、英王立統計学会の女性初会員に推挙。
・国ごとに違った医療統計の統一基準を作り、病院統計のための標準モデルを提案。
・私財を投じて大学での統計教育の推進に尽くす。
・看護師養成学校を創設。看護の指針となる「看護覚え書」出版。
・英国の病院改革に取り組み、公衆衛生の改善に情熱を燃やした。
・ナイチンゲールが看護師として活躍したのは3年に満たない。
・帰国後、クリミアの戦地で感染したとみられるブルセラ症を発症し、約50年ほぼベッドで過ごすようになる。
・自宅で研究や書籍の執筆を続け、病魔に苦しみつつも改革のために力を尽くした。
・1910年 8月13日 ロンドンで死去(享年90歳)。
65歳にして知ったことはたくさんありました。最後に名言を紹介します。
★名言10選
①天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。
②人生を生きるには、修練が必要です。「まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐらしている意志」のうちに人生をうやむやに過ごしてはなりません。
③私たちは、自分が誉められるためにではなく、私たちが選んだこの仕事に名誉をもたらし、それを前進させるために、心を打ち込んで事を成し遂げていこうではありませんか。
④最も上手に人をおさめるのは、自分の責任下にある人々を愚かに甘やかすのではなく、その人のためになること、その人にとって最高の利益になることを親身になって考える人です。
⑤あなた方は進歩し続けない限りは退歩していることになるのです。目的を高く掲げなさい。
⑥私が成功したのは、決して弁解したり、弁解を受け入れなかったからです。
⑦人生とは戦いであり、不正との格闘である。
⑧人の思いは、言葉に変わることで無駄にされているように、私には思えるのです。それらは皆、結果をもたらす行動に変わるべきものなのです。
⑨物事を始めるチャンスを、私は逃さない。たとえマスタードの種のように小さな始まりでも、芽を出し、根を張ることがいくらでもある。
⑩進歩のない組織で持ちこたえたものはない。
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