· 

No弐-725 栗山監督から学ぶ

 WBCの日本の優勝、嬉しいですね。感激しました。今日は途中からリードしていて追われる展開だったので、最後までハラハラドキドキしながら応援してました。

 皆さんは今日の決勝戦は、少しはご覧になることができたのでしょうか?野球好きの子は気が気じゃなかったでしょうね?

 こんなうれしい日に野球以外の話では盛り上がりませんよね?昨日の朝日新聞に栗山英樹監督のことが取り上げられていました。Wikipediaで少し補足しながら紹介します。

 

 栗山監督は、東京都小平市出身で、野球好きのお兄さんに誘われ、小学校時代から軟式野球を始め、日本のプロ野球監督では、国立大学出身・大学教授の経歴を持つ人物は史上初です。

 

★「一流でない」から歩めた道(見出し)

◎あこがれの人

・3歳歳上の原辰徳・現巨人監督。神奈川・東海大相模校で甲子園を沸かせたスター。

・中学3年のときに、同校野球部のセレクションを受けた。

 偶然、原さんとグラウンドですれ違い、目が合い、声をかけられた。

 「セレクション生か、頑張れよ」

 緊張で立ちすくんだ。49年経った今でも、胸の高鳴りが忘れられない。

 

◎高校・大学

・高校3年間で1度も甲子園に出られなかった。(創価高校、主将兼エース)

・東京学芸大で野球を続けながら教員免許(小・中・高)を取った。

 

◎プロ入り

・1984年、入団テストを経て、(ドラフト外で)ヤクルトの選手になる。

・内野手(遊撃手)から外野手への転向、毎日の居残りの練習、スイッチヒッターへの挑戦・・・

・レギュラーをつかんだ時期もあったが、長くは続かなかった。

・プロ入り後に発症したメニエール病(めまいや難聴などを起こす病気)やけがに悩まされた。

・プロ生活7年でユニホームを脱いだ。通算494試合で打率2割7分9厘。

 

◎転身

・1991年からスポーツキャスターに転身。プロ・アマ・日米を問わず、野球の取材に駆け回った。

・(2004年から白鷗大学助教授、08年に経営学部教授。スポーツメディア論・野球型)

・その後、日本ハムの監督として球界に復帰。

・信念を貫く。判断の決め手は、選手のためになるかどうか。大谷翔平の投打「二刀流」挑戦を後押しした。

・2012年からの10シーズンでリーグ優勝2度。16年には日本一を達成。

・(監督退任後、テレビ朝日ゲスト解説者。北海学園特任教授に就任)

 

◎侍ジャパン(日本代表)監督(21年12月~)

・高校野球の名将たちにも教えをこう。

・代表選手を自分の目で見て回る。

・大谷選手やダルビッシュ選手に会うため渡米。

・サッカー日本代表の森保監督にも話を聞く。

 

 「僕はそんなに能力がある人間ではない。ただ唯一できるのは、誰よりも情熱を持ってやること。できることはそれしかない」

 確かに「ひたむきさが一つの求心力」になった事は間違いないですね。

 サッカーの森保監督も栗山監督も共通して人間的な魅力を感じます。

 指導者として、理想の上司として手本になっていくことでしょう。