今日は、3月11日。東日本大震災から12年が経ちます。
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒。あの時の記憶がよみがえります。あの日の夜空は全く覚えていませんが、東北では、満天の星が広がっていたそうです。
4年前に書いた27枚の黄色いハンカチを掲げた話、7年9か月ぶりに奥さんの遺骨が帰ってきた話を読み返しました。
3年前には、この日を選んで「Fukusima50」を観に行ったのを思い出しました。。
2年前の10年後の世論調査では、被災地への国民の関心が薄れていると感じる割合は、全ての層で9割台となっていました。
昨年は、日本財団の広告から「災害への備え」を紹介しましたが、恥ずかしながらまだやっていません。「首都直下地震の想定」からは、国や自治体などの支援体制が整うまで約72時間は生き抜かなければならないことを読み返し、気を引き締め直しました。
今年は、2月26日(日)朝日新聞の「窓」にあった「モンティ、これはあなただよ」を紹介します。山口道明さん(63)とモンゴメリー・ディクソンさんの交流の話です。
・「モンティ先生」 陽気な米国人青年は、子どもたちから親しみを込めて、そう呼ばれていた。
・2009年、山口さんは、岩手県陸前高田市の米崎小学校の副校長をしていた時、外国語指導助手として来日したモンゴメリーさんと出会う。
・2人はともに北海道教育大函館校の卒業生。「先輩後輩」として親しく会話をするようになる。
★モンゴメリーさん
・他の外国語助手と違い、授業が終わっても職員室に戻らず、休み時間は子どもたちと校庭で鬼ごっこ。
・給食も一緒に食べる。
・アラスカの少年時代に両親を亡くし、教師が一人ひとりの子どもたちと長く向き合う大切さを理解していた。
・新渡戸稲造の「武士道」を愛読。
・将来は「日本と米国の懸け橋になりたい。人の役に立つ仕事がしたい」との夢を描いていた。
・郊外でも。近所の住民とお茶会を開いたり、居酒屋に飲みに行ったりした。
★2011年3月11日
・モンゴメリーさんにとって、米崎小での最後の授業。
・山口さんは、モンゴメリーさんに「洪庵のたいまつ」(司馬遼太郎)の一節を子どもたちに英語で紹介したいので、英訳を頼んだ。
・モンゴメリーさんは快く引き受け、紙片にさらさらと英訳を書いた。
<There’s nothing as beautiful as dedicating one’s life for a cause.>
世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない。
・山口さんは「日本語を深く理解し、英訳できる。彼は米国人であり、立派な日本人でもあるんだ」と感心した。
・モンゴメリーさんは授業終了を報告するため、市教育委員会に向かった。
・その約1時間後の午後2時46分、陸前高田市を震度6弱の地震が襲い、津波が押し寄せた。
・市教委の入った建物は津波にのまれ、教育長も、次長も流された。
・モンゴメリーさんも行方が分からなくなり、後日、遺体で見つかった。26歳だった。
・4月に授業を再開し、子どもたちの歓声が戻った校舎で山口さんは思った。
「子どもが大好きだったモンティも、この笑い声を聞きたかっただろうな」
・あの日、受け取った英訳の紙片は職員室の机の上に残っていた。
・その後、来日したモンゴメリーさんの遺族に遺品として渡したが、山口さんは教員を定年退職した今も、紙片のコピーを大切に保管している。
<世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない>
「モンティ、これはあなたのことですよ」
いかがですか?ステキな話でしょ。さらに3月9日(木)の朝日新聞にも紹介されていました。
・東日本大震災による直接の死者は15900人、行方不明者2523人のうち、外国人の死者は33人(韓国・朝鮮13人、中国12人、フィリピン4人、米国2人、カナダ1人、パキスタン1人)
震災後、茶道を愛したモンゴメリーさんを偲び、出身のアラスカ大学には茶室が作られ、多くの米国人学生が茶道を学んだり、茶会を楽しんだりしているんですって。
今日も震災で家族を亡くした佐々木投手を応援しましょ!
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