今日は、カレンダーで2月9日を確認すると、ふと語呂合わせを思い出しました。
予想通り、「に(2)く(9)」の語呂合せで「肉の日」でした。
しかし、他にも「ふ(2)く(9)」の語呂合せで「服の日」、「福の日」、「風の日」、「ふく(ふぐ)の日」などがありました。さらに印象に残ったのは、
・1895(明治28)年2月9日、バレーボールが考案された日
・1936(昭和11)年2月9日、日本初のプロ野球公式試合が開催された日
・1989(平成元)年2月9日、手塚治虫さんの忌日から「漫画の日」などがありました。
そこで早速クイズを作ってみました。
Q1. 世界で一番牛肉を食べる国はどこでしょう?
①日本 ②アメリカ ③ウルグアイ
Q2. 日本で肉食の文化を広めた人は誰でしょうか?
①徳川家康 ②福沢諭吉 ③坂本龍馬
Q3. 「河豚」、「海豚」それぞれなんて読むでしょう?
Q4. フグの毒は何というでしょう
①テトロドトキシン ②パリトキシン ③テトラミン
Q5. バレーボールの名前に影響したスポーツは何でしょう?
①バドミントン ②テニス ③バスケットボール
Q6. バレーボールは、漢字では「〇球」と書くでしょう?なぜでしょう?
Q7. 日本のプロ野球は、当初何球団あったでしょう?
①5球団 ②6球団 ③7球団
Q8. 東京セネタースの本拠地はどこにあったでしょう?
①等々力 ②南千住 ③上井草
Q9. 手塚治虫さんの出身は、どこでしょう?
①宝塚市 ②神戸市 ③明石市
Q10. 手塚治虫さんのデビュー作は、何という漫画でしょう?
①アトム大使 ②マアチャンの日記帳 ③新寶島
Q1. 世界で一番牛肉を食べる国は、③ウルグアイ。
・一人当たりの牛肉年間消費量は約61kg。
・第2位はアルゼンチン(約53kg)、第3位はブラジル(約38kg)、第4位はアメリカ(約38kg)、日本は(約10kg)。
Q2. 日本で肉食の文化を広めた人は、②福沢諭吉
・日本では江戸時代まではお肉を食べることが禁止。明治時代に入り、政府が肉を食べることを認めたので、少しずつ肉文化が広がる。
・福沢諭吉は「牛肉を食べることは体に良い、力が出る」と勧め、「牛鍋」が流行。
Q3. 「河豚」ふぐ、「海豚」いるか
Q4. フグの毒は、①テトロドトキシン
・テトロドトキシンは、青酸カリの1000倍以上の毒力を持つ神経毒。
・熱や酸に強く、煮炊きした程度では分解しない。
・産卵期(3月頃)の毒力がもっとも強い。
・症状は、くちびるや手の感覚麻痺、運動神経麻痺、呼吸麻痺
・潜伏期間は1時間以内。発症後8時間以内で死に至ることもある。
★バレーボール
・1895(明治28)年2月9日、アメリカの体育教師 ウィリアム・G・モーガンによってバレーボールが考案される。
・4年前の1891(明治24)年に、バスケットボールが考案され、注目と人気を集めたが、女性や子どもたちでもプレイしやすくするために、他の競技を参考に組み合わせてできたのがバレーボール。
・中でもバドミントンを特に参考にしたので、当初は「ミントネット」と名付けられた。
Q5. バレーボールの名前に影響したスポーツは、②テニス
・ボールが地面に付く前に打ち返すのは、テニスのボレーのようだとの意見から、名称が「ボレー」に変更された。
・1950年代に入り、ボレーのスペルは変えずに発音だけ「バレーボール」と呼ばれるようになる。
Q6・日本にバレーボールが紹介されたのは、1910年代の頃で、ボールを相手コートに打ち返す動作は、自分のコートからボールを追い出したり押しのけたりするようで排出的なことから、漢字では「排球」と表記された。
★日本のプロ野球試合初開催
・1936(昭和11)年2月9日に日本初のプロ野球公式試合「東京巨人VS名古屋金鯱」が、鳴海球場(愛知県名古屋市)で開催。試合は3対10で名古屋金鯱が勝利。
Q7. 当時のプロ野球球団は、③7球団
・東京巨人軍(現読売ジャイアンツ)、大阪タイガース(現阪神タイガース)、大東京軍、名古屋軍(現中日ドラゴンズ)、阪急軍(現オリックスバファローズ)、東京セネタース、名古屋金鯱軍)。
★東京セネタース(1936~40)
・東京巨人軍に対する「首都圏におけるライバル球団」が必要という考えで、西武鉄道の後援により東京セネタースが設立。セネターとは、アメリカ合衆国の上院議員を意味する。
Q8. 本拠地は、東京府東京市杉並区にあった③上井草球場。
・オーナー、社長が貴族院議員であり、メジャーリーグのワシントン・セネタースに倣った。
・戦後、東急フライヤーズとなり、現在は北海道日本ハムファイターズとして存続。
Q9. 手塚治虫さんの出身は、①宝塚市
・大阪豊中市で生まれ、5歳の時に当市に移り、名誉市民。
・初恋の相手が宝塚少女歌劇団の生徒で、宝塚大劇場によく通った。
Q10. 手塚治虫さんのデビュー作は、②マアチャンの日記帳(4コマ漫画)でデビュー(1946年1月1日)
・1947年、単行本「新寶島」がベストセラーとなり、大阪に赤本ブームを引き起こす。
・1950年より漫画雑誌に登場し、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」といったヒット作を次々と手がけた。
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