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No弐-638  ユーミンデビュー50年

 メリー クリスマス!今日はクリスマスなので、今でも定番曲になっている「恋人はサンタクロース」の松任谷由実さんに注目してみます。

 10月に出したデビュー50周年の記念ベストアルバム「ユーミン万歳!」はアルバムチャートで初登場1位。1970年代から6年代連続で1位を獲得したアーティストは初めてだそうです。

 

 12月11日(日)の日本経済新聞の「文化時評」の「ユーミンの50年とメメント・モリ」の記事からです。

★デビュー秘話

・高校生だったユーミンを作曲家としてスカウトしたのは同じ作曲家の村井邦彦さん。

彼女の曲は偶然耳にして、今までにない作曲家だと直感。使っている和音が多彩で、そこが気に入った。作詞センスも斬新。

・ユーミンは作曲家志望だったが、村井さんの勧めで自ら歌うことになった。

「ひこうき雲」は当初、雪村いづみさんに歌ってもらったが、あまりにも歌唱力がありすぎて、あの曲の感じが出なかった。ユーミンの下手ウマな歌がいいなと思った。

・バックには細野晴臣、松任谷正隆、バックコーラスに山下達郎、大貫妙子、吉田美奈子。

 この強力な布陣による完璧なサウンド、英国ロックや教会音楽の影響を受けたメロディー、ビブラートをつけずに歌う無機質だが不思議な味のボーカル・・・。

 

★シティポップの先駆け

・ユーミンが70年代半ばに発表した「ルージュの伝言」「あの日に帰りたい」「卒業写真」「翳りゆく部屋」などの音楽性は、当時流行していた「四畳半フォーク」とは違っていた。

・近年国内外で再評価されている「シティポップ」の先駆け。

・ユーミンの描く「シティ」は東京の都心ではなかった。

「雨のステイション」は西立川、「中央フリーウエイ」は府中。

 郊外の風景も、ユーミンが歌うとスタイリッシュ。

 

★リゾート

・ユーミンは80年代前後から、夏は海沿いのプール(逗子マリーナなど)、冬はスキー場(苗場プリンスホテル)でリゾートライブを開き、毎年の恒例。

・「恋人がサンタクロース」が映画「私をスキーに連れてって」(87)の挿入歌に採用され、大ヒット。

 

★80年代はリッチな世界

・80年代のユーミンが歌いたかったのは、大半の若者にとっては背伸びしないと届かないリッチな世界。逆にいえば、何年かたって収入が増えれば届く世界。

・バブルが膨らみ始めた87年に「ダイヤモンドダストが消えぬまに」を書いていたのは、ゾッとするほど予見的。

 

★歌謡曲とジブリ

・ユーミンの存在がお茶の間に浸透したのは、「守ってあげたい」と「春よ、来い」のヒットも大きかったが、歌謡曲とジブリにもある。

・松田聖子の「赤いスイートピー」、原田知世の「時をかける少女」、薬師丸ひろ子の「Woman〝Wの悲劇〟より」は作曲家としての実力を世間に示した。

・ジブリ映画の「魔女の宅急便」や「風立ちぬ」で使われた「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」「ひこうき雲」でユーミンを知った若い世代も少なくない。

 

★ユーミンの歌詞

・ユーミンの歌詞の特徴は絵画的で、ある情景を空気感まで含めて描き切る。

・もう一つはメメント・モリ、死を思う歌詞の異様までの多さ。

(メメント・モリは、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘るな」「死を忘ることなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。)

・「ひこうき雲」「ツバメのように」「コンパートメント」「12階のこいびと」「雨に消えたジョガー」・・・・。

・メメント・モリの感覚は最新アルバム「深海の街」にもより深化した形で現れ、コロナ禍とウクライナ戦争に揺れる今の世界と意味深長に響き合っている。

・現在と過去、現実と異世界を往還する夢幻能のようだ。ユーミンは現代の世阿弥と言えるかもしれない。

 

 1972年「返事はいらない」でデビュー。私は中学3年生、衝撃的でした。あれからLPを買い集めました。どの曲も好きでしたが、こんなに詞を口ずさめるのはユーミンだけかもしれません。ユーミンの歌はきっと後世にも語り継がれると信じます。

 皆さんのユーミンのオススメの曲は何かしら?

 「YUMING  MUSEUM」が六本木で来年2月26日まで開かれてるそうですよ。行ってみようっと。