· 

No弐-578 中村俊輔さんから学ぶ

 昨日、一昨日と小平さんの引退を紹介したのですから、サッカーの中村俊輔選手の引退も取り上げなくてはいけませんよね。がるべるのメンバーには、サッカー経験者・愛好者がたくさんいますから。

 俊輔選手は、23日(日)、熊本市で行われたロアッソ熊本とのリーグ最終戦に出場し、ファンに最後の雄姿を見せました。

 

 最終戦に出場する前の10月17日(月)のスポーツニッポンの記事からです。

★プロフィール

・1978年生まれ(44)、横浜市出身、プロ26年。97年に桐光学園から横浜M入り。

・02年レジーナ(イタリア)、05年セルティック(スコットランド)、09年エスパニョール(スペイン)に移籍。

・10年横浜復帰、17年磐田、19年J2横浜FCに加入。

・J1で2度のMVP(史上初) 00年(史上最年少)、13年(史上最年長)。

・日本代表98試合24本FK得点(J1歴代最多)、W杯2度出場。 

 

★スポーツニッポン記者(垣内一之さん)が語るエピソード 

・四兄弟の四男。末っ子気質で誰からも愛されるキャラ。

・全く飾らず裏表がない。純粋、周囲への細かい気配り、人なつっこく、おおらか、無邪気。

・セルティック時代のグラスゴールで、大人数での夕食時、自身だけが肉を注文したと知るや、ナイフで細かく切ってみんなに配って回った。

・Jリーグ復帰後、他クラブの選手でも「海外移籍の話を聞きたい」と頼まれれば、忙しい合間を縫って食事の機会を設けることもあった。

・毎年1月初旬の自主トレには、他クラブからもたくさんの後輩たちが参加した。

 

・今年6月、右足首に再度のメス。5~6年間からすでに限界。軟骨はすり減り、ほとんどなく、骨も変形し、爪先立さえできない状態。9月にボールを蹴れるまでに快復。

 

★個人トレーナー(新盛淳司さん)が語るエピソード(10月18日スポーツニッポン)

・磐田時代の18年6月、右足首の手術。それ以前から朝起きたら足を引きずっていた。

・さまざまな治療を試しながら、チームの勝利にためにプレーを続けた。

・磐田時代は週2,3回、横浜―磐田間を2時間半かけて車でリハビリに通う。2人とも坐骨神経症になったりもした。

 

・クラブハウス入りするのは、必ず練習の2時間前。

・練習で100%を出せるように、必ずメンタルを整えていく。それを1日も欠かさず続けていた。彼は天才だけれど、努力もできる天才。

 

★現役ラストゲーム(10月24日スポーツニッポン)

・約1年半ぶりの先発。後半15分まで60分間プレー。

・電光掲示板に交代を告げる「25」が照らされると、2万1508人の大観衆から大きな拍手が送られた。

・奈落の底に何度も突き落とされても、努力を重ね再び頂点へと返り咲き、その姿に誰もが魅了された。

・誰よりも練習し、誰よりもサッカーを愛した。「観客を呼べる数少ない選手」(四毛田監督)だった。

 

★指導者として心がけることは?(インタビュー)

・「ゼロからだよ。自分の(現役時代の)感覚を捨てる必要がある。

 信頼関係や人間性が、戦術より勝るのを見てきたからね」

 

 いかがでしたか?「這い上がる強さ」は刺激になったのではないでしょうか?

 指導者として活躍する俊輔さんを早く見たいですね。