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No弐-577  小平奈緒さんから学ぶ2

 今日も小平さんに注目してみたいと思います。

 その前に訂正のお詫びです。日頃から誤字・脱字の変換ミスが多い私ですが、昨日の小見出しに「オランダ単身渡米」と書いてしまったことを、朝のウオーキングをしている最中にふと気付きました。オランダなんですから「単身渡欧」ですよね。お恥ずかしい。

 

 大会翌日(10月23日)のスポーツニッポンの記事からです。

・最終レースの舞台に選んだのは98年長野五輪が開催されたエムウエーブ。

・「人生で初めて鳥肌が立ったのが長野五輪。(今日は)鳥肌を超えて心が震えて飛び出てきそうな感じでした」

・ホームコースでもあるこの会場が満員となるのは、その98年五輪以来。

 

・12組中11組に登場した主役がトップに立つと、満員6085人の観衆が沸いた。

・女子500mを37秒49で制し、8年連続13回目の優勝。

・熱狂する観客に対し、小平さんは両手を押さえるジェスチャーでボルテージを下げるように要求。優勝を争う高木選手が滑る最終組への配慮だった。

・引退レースでも、気遣いは変わらない。

 

・引退セレモニーでは、19年の台風で被災した地元長野の農家からリンゴ1000個を自腹購入し、観客に配布するサプライズ。

・小平さんは、災害ボランティアに参加するなどして、被災地に心を寄せ続けてきた。

 

・今季開幕戦の1本のために過酷な練習を乗り越えた姿に「やると決めたらやる覚悟には、アスリートを超えた人間としてのすごみがある」と絶賛。(結城コーチ)

・「最初にお会いした時に、こんなに誠実な方が人間界にいるんだと驚いた。

歩くパワースポットみたいだと感動したのを覚えています」(ゆず・北川悠仁さん)

 

★スケート靴

・現在使用するスケート靴は大学1年時に今は亡き祖父に購入してもらったもの。

・ブレードなどを交換しながら18年も愛用。

 

★座右の銘

・「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」(ガンジー)

 

 他にもこんなエピソードがありました。

★語学力(朝日新聞「自由自在」4月27日)

・小平さんが他の選手と違ったのは、真剣に語学を習得したことだろう。

・韓国語や中国語の本を読み、積極的に話しかけ、友情を育んできた。

・14・15年のオランダ留学。当地はほとんど英語で事足りるが、選手同士の会話に加わるには、オランダ語を必要と感じ、単語帳を持ち歩き、言葉を覚えていった。

・「オランダ語をしゃべるというただそれだけで、出会った仲間とたくさんの対話ができた」

・「言葉を覚えることで、世界が広がるんだと教えてくれた。すごくいい景色を見ることができた」

 

★現役引退会見で語ったこと(朝日新聞デジタル4月12日)

・中学の頃に出会った好きな言葉は「勇往邁進」。

・画一的な指導が嫌だったから、スケートの強豪校には進まず、高校に2人だけの同好会を作って、中学時代からのコーチに指導してもらった。

・大学1年の頃は、学業との両立が難しく、タイムが伸びなかった。環境に恵まれた実業団選手をうらやましいとも感じた。そんな時、「競技だけやっていればいい、というのは日本だけだぞ」という結城コーチの言葉が支えになった。

 1980年レークプラシッド五輪で5種目を制し、引退後は整形外科医になったエリック・ハイデン(米国)の存在を教えてもらい、励みにした。

 

・「地域の皆さんが笑顔になれるような、身近で、心に穏やかな炎をともせる存在でいたい」

・トップ選手を続けてきて「アスリートが特別な、遠い存在になっている」との違和感があった。メダルや順位、タイムなどではなく、もう一歩踏み込んだところにスポーツのよさがあると知ってほしい。

 

 小平さんの卒論のテーマは「スケートの動作解析」。

 所属も治療やリハビリで縁があった松本市の相沢病院というのも小平さんらしいですね。

 今後もずっと応援したい魅力的な一人ですね。