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No弐-560 渥美清さんの魅力2

  また3連休なんですね。どちらかにお出かけですか?今日は、朝ウオーキングに行くと、保育園や小学校で運動会の準備をしていました。若い先生たちが一生懸命ラインを引いたり、砂を撒いたりしていました。懐かしいです。あれ?でも若い先生たちだけなのかしら?

 

 さて昨日は、この秋一番の冷え込みになりました。寒かったですね。都心の最高気温が10月上旬に13度台になるのは1934年以来、88年ぶりだったそうです。

 1934年(昭和9年)を調べてみると、東京宝塚劇場開場、キンチョール発売開始(1月1日)、忠犬ハチ公銅像除幕式(4月21日) 、東郷平八郎元帥死去(5月30日)・国葬(日比谷公園、6月3日)、ベーブ・ルースら17名が米大リーグ選抜チームとして来日 (11月2日〜12月1日)などがありました。

 

 先月9月の敬老の日があった3連休には、「No弐-540 寅さん、渥美清さんの魅力」(9月18日)を紹介しました。

  今日は、再び朝日新聞別冊「be」に連載されている山田洋次監督の「夢をつくる」からです。今日の第8回「禁欲的な哲学者だった渥美さん」にあった渥美清さんの魅力を紹介したいと思います。

 

★渥美さんの知られざるエピソード

・思えば渥美さんの日常は禁欲的な哲学者のそれに似ていた。

・寅さん以外の出演は一切断る。

・執筆や講演もやらない、彼の少年時代の波乱万丈の物語が面白くないわけがないから何十社という出版社から自伝執筆の依頼があったけど、役者はもの書きではありませんと拒否。

・撮影の合間は、読書、親しい友人と俳句の会、都内の演劇や映画を片っ端から観て歩く。

・「僕は自分が芝居をするより観るほうが好きなんだな」と真顔で語ったことがある。

 

・酒は飲まないし、食事はいたって簡単。

・身だしなみも一切かまわない。

・撮影が始まると高級美容室に行って、足の爪にはいつもペディキュアをしていた。寅さんは草履履きだから裸足の足の指が汚れていてはいけないという足指のおしゃれ。

・いつも手ぶら。財布やかばんは持たない。お金は封筒にお札を入れてポケットに収める。

・背広は着ない。毎日芸術賞特別賞を受賞したけど、背広がないから授賞式に行かないというので、宣伝部が大騒ぎして部員のコール天のジャケットを着て、ようやく出席してもらった。

・マイカーは持たず、外出は電車を愛用。

・仕事場のあった代官山駅の売店のおばさんに1万円を預けておいて、新聞を買うたびに「まだお金は残っているかい?」と聞いていた。

 

・マスコミが私生活に触れるのを極端に嫌った。渥美清という公人と田所康雄という私人を区別をきちんとしたかった。

・あるロケで昼休みに記者会見したときに、若い記者が「ご家族は元気ですか」という質問をすると「そうですね」と答えて、帽子を手にすると「ちょっと失礼」と席を立って行った。トイレに行ったのだろうと待っていったら、そのまま帰ってこなかったことがあった。

 

・遺言「誰も気づかないうちに、消えるようにこの世を去りたい。野辺の送りは親戚も呼ばず、家族だけでひっそりやってほしい」(第7回より)

 

 どれか一つ真似てみたいのですが、どれもできない自分はやっぱり「凡人」だと気付かせてくれました。