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No弐-558 苦手、否定の表現

  今日の朝日新聞朝刊の「言葉季評」からです。歌人の穂村弘さんの「逃げ道求める空気感」が印象に残りました。

 皆さんは「ちょっと苦手かも」と言ったことありますか?

★「ちょっと苦手かも」

・自分の言葉遣いがいつの間にか変化している、と気づくことがある。

・例えば、飲食店で食べたものに対して、昭和の時代なら「おいしくない」とか「まずい」と言ったところを、この頃では「ちょっと苦手かも」と言っている。

・気の合わない人に対しても、昔なら「いやなやつ」とか「きらい」と言ったけど、この頃ではやはり「ちょっと苦手かも」と言っている。

 

・これって、いったいなんだろう?

・「おいしくない」「まずい」「いやなやつ」「きらい」と言ってしまうと、対象を完全否定することになるが、「苦手」ならそうはならない、という気持ちの表れかもしれない。

・「自分は好きではないけど、人それぞれだから気に入る人もいるかもね」というニュアンスが生じて、一種の逃げ道ができる。

・その逃げ道を強化するために、さらに「ちょっと」と「かも」を加える。

・おそらくは社会全体の空気感の変化にともなって、自然に学習したものだろう。

 

★「個人の感想です」

・テレビのコマーシャルの片隅に「個人の感想です」みたいなメッセージが表示されるようになったのは、いつからだろう。昔はなかったと思う。

・初めて見た時、不思議な気持ちになった。

・どうしてわざわざ念を押すのか。個人の感想でなかったらなんだというのか。

・これも「苦手」の仲間なのだろう。

・宣伝している商品は「自分は好きだけど、人それぞれだから気にいらない人もいるかもね」という、「苦手」とは逆方向の逃げ道を作っている。

 

★短歌にあった強い否定の言葉

 もにょるって言葉の意味も何もかも 憎くて憎くて気が狂いそう (枡野浩一)

 

・「憎くて憎くて気が狂いそう」とは、強すぎる否定の言葉だ。

・何度か読み返してみて、これはたぶん、わざと過激な言い回しをしているな、と感じた。

・「もにょる」とは、もやもやして気持ちが悪い様子を表す言葉で、もともとはインターネットからうまれたものらしい。

これは「苦手」の親玉というか、逃げ道的な表現の究極形ではないだろうか。

・対象を漠然と否定したい気持ちがありつつも、その理由を説明したり、責任を取ることはしたくない。そんな時に便利な言葉。

 

・「憎くて憎くて気が狂いそう」が、過剰に強い表現になっているのは、自ら逃げ道をふさいでみせることで、「もにょる」と言う言葉の特性に反論を示しているのだろう。

・音の響きの面でも、「もにょる」のゆるさとぬるさに対抗するように、カ行の鋭い音がちりばめられている。

 

★「なんだかなぁ」「批判を浴びそうだ」

・ノーリスクで駄目出しをしたいというニーズに応えるために、インターネット上の発言では「なんだかなぁ」が多用されている。発信者が特命なら無敵だ。

・新聞や雑誌では「批判を浴びそうだ」というフレーズを見ることがあるが、文章の最後にそう言われると、不意に書き手の姿が消えてしまったように感じる。

・なにがどう「なんだかなぁ」か、誰になぜ「批判を浴びそうだ」なのか、ということは明示されないまま、透明人間の駄目出しのような否定の気分だけが世界に生み出される。

・言われたほうは、あらかじめ反論を封じられ、透明人間に言い返すのは難しい。

 

 ふりかえってみると、私も「ちょっと苦手かも」「なんだかなぁ」は使ったことがあります。逃げ道というより微妙な迷いがあったからだと思うのですが。