今日も休日なので、昨日に引き続き、朝日新聞別冊「be」には、山田洋次監督の「夢をつくる」から、監督の魅力の一つを紹介したいと思います。
第2回「ふみさんの涙 映画の力を知る」(5月21日)からです。
「何のために映画をつくるのか?人を喜ばせるためだとしたら、どんな人を、どんな風に喜ばせるのか?」を語っていらっしゃいます。
★映画づくりへの思い
・父親が満鉄に勤めていたので、2歳の時から敗戦まで満州で育った。
・満州の日本人は「植民者」であり、「内地」と言われた日本と比べると、いい生活をしていた。多くの家に女中さんやボーイさんがいた。
・満州の家に、ふみさんという女中さん(長崎・五島列島出身の漁師の娘)がいた。
・小学校2年のある時、ふみさんと一緒に映画に行くことになった。
・ふみさんが長谷川一夫・李香蘭主演のメロドラマ「白蘭の歌」を見たいと言った。
・母親が子どもが付いていた方が安全だろうと、「一緒に行きなさい」と言った。
・併映が「路傍の石」。貧しい農村の少年が身売りをされて、東京の商家で叱られながら働く悲しい物語をぼんやりと見ていて、ふと気がつくと隣のふみさんがぽろぽろと涙をこぼして泣いていた。
・まだ二十歳前の色白の可愛い彼女のほっぺたが涙にぬれ、スクリーンの反射でキラキラ光っていた。
・映画を見て泣くことがあるんだとびっくりした。
・映画は人を泣くほど感動させることもあるんだということを初めて知った。
・ふみさんは後に結婚して内地に帰るが、中学1年の時、大連に会いに来てくれた。
・学校から帰ってきたのを見て「ああ、洋次さん」と言って泣き出した。
・すごくうれしかったけど、泣くという素朴な感情の表現がとても恥ずかしくて「友達と遊びに行く」と逃げ出した。
・ふみさんとはそれっきりで、戦後消息を探したが、わからなかった。
・映画監督になった時、ふみさんのために映画をつくろうと思った。
・ふみさんがほめてくれるような、ふみさんを感動させるような映画をつくるのだと。
・いまもずっとそう思っている。
素敵な話だと思いませんか?一人の人のために映画をつくろうなんて。勝手にふみさんの顔が浮かんでしまいました。
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