嬉しいニュースが飛び込んできました。応援していた朝乃山が幕下で全勝優勝しました。
さて、先日図書館に行った時、7月5日の東京新聞に相撲の「化粧まわし」の記事がありました。
夏休みに入ったので、あと2日しかありませんが、ぜひテレビで大相撲の土俵入りを観てみませんか?
★土俵入り
十両と幕内の力士が取組開始前に、横綱を除く全出場力士で行います。
力士は土俵に上がると名前と出身地と所属部屋が紹介され、三役の力士は地位も呼ばれます。
全員が土俵にあがるまでは、各力士は外側を向き、最後の力士が上がるときに内側に向き直ります。
この後なんです。謎の儀式が始まるんです。
全員が勢揃いすると、①柏手を打ち、②右手を挙げ、③化粧廻しをつまみ、④両手を挙げるのです。ネットで調べてみると
①柏手を打つのは、「塵浄水(ちりちょうず)」を略したもの。
塵浄水とは、力士は土俵に上がると、蹲踞(そんきょ)し、もみ手をして柏手一回打った後、両腕を左右に開いて手のひらを返す動作のことをいうそうです。
相手に手のひらを返して見せるのは、「武器を持たずに正々堂々と素手で闘うこと」を誓う意味なんだそうです。
②右手を上げる動作は、相撲の儀式の三段構えの「上段の構え」を表したもの。
③両手で化粧回しを持ち上げるのは、「四股踏み」を表すそうです。
江戸時代の錦絵には、幕内力士たちが四股を踏んでいる絵が残っていて、当時は幕内の人数が少なく、1度に土俵に上がるのは10人に満たなかったために可能だったそうです。
④最後に両手を上げるのは四股の終了を表したものだそうです。(「磯鵯(リタイリーの一人旅、ひとりごと)から)
幼稚園からの謎がやっと解けました。
さて、本題の「化粧まわし」です。
もともとは、江戸時代に紀州藩の殿様がお抱えの力士に活躍のごほうびとして贈ったのが起源だそうで、通常のまわしと違い、豪華な刺繍の「前垂れ」がついています。
・江戸時代前期ごろ化粧まわしと締め込みが一体となったまわしを締めているのが確認できる。
・江戸時代に中期にかけて、前垂れの部分が長くなり、取り組む中のけがを恐れ、土俵入りと取組でまわしを使い分けるようになった。
・当時は、風景や文字などシンプルなものが多かったが、戦後になるとデザインが多様化。
・学生相撲出身者の増加で近年目立つのが母校の校章が刺繍されたもの。
・埼玉栄校出身の関取は、名古屋場所で14人を数える。新十両豪ノ山は、卒業生として27人の目の同校の化粧まわしを受け取った。
志摩ノ海の化粧まわしをご存知ですか?
・人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の人気キャラクター岸辺露伴が「だが断る」と言い放つ名場面をあしらっている。
・時津風部屋の大関正代は不二家のキャラクター「ペコちゃん」、幕内豊山は「ポコちゃん」。不二家によると東農大出身の社員が多いこと、護国寺で行われる節分の豆まきに同社会長と力士が参加した縁があったことから贈呈した。
化粧まわしをさらに調べてみると
・相撲で関取衆が土俵入り用に使うエプロンのような美しいまわし。
・後援会などが昇進を祝って贈ることが多い。
・帯の生地幅は日本婦人の丸帯と同じ 68cmであるが,長さは2倍近い 6m以上もある。これを縦に六つ折りとして腰に三重に巻き、その先端の 1mほどを広いまま前に垂らし,その部分に模様が施してある。
・帯の生地は、ラシャならわりあい安価であるが,現在はほとんど使用されておらず,博多織ならその倍,京都西陣製のつづれ織りだとそのまた倍はかかる。
・目方は 10kg前後。
・横綱のものは三つぞろいで一組であるため最低 300万円前後はかかる。(ブリタニカ国際大百科事典小項目事典)
・史上最高額を記録したのは、元大関の若嶋津関の化粧まわし。後援会から贈られたというその化粧回しは、前垂れにデザインされた鷲の足に10カラットのダイヤモンドが織り込まれ、総額はなんと1億5千万円。地方巡業の際ダイヤモンドを本物からイミテーションに入れ替えて使っていた。
・1995年のパリ巡業中には、化粧まわしを保管していた現地の倉庫が全焼し、日本から持ってきたすべての化粧まわしが灰になるという悲惨なアクシデントが起きた。
いかがでしたか?お気に入りの化粧まわしを探してみてはいかがでしょう?
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