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No弐472 襲撃事件から考える  

 先日参院選の街頭演説をしていた安倍元首相が襲撃され、亡くなった事件は、ニュースが流れるたびに暗い気持ちになります。

 今日の読売新聞朝刊の堀川惠子さん(ノンフィクション作家)の寄稿に注目してみました。

・「民主主義への蛮行」、「卑劣な言論封殺」。

最大級の言葉で表される重大な社会的影響に比して、少しずつ明らかになる容疑者の情報に釈然としない思いを抱く。動機は恐ろしく身勝手。

・犬養毅、浜口雄幸、原敬ら首相暗殺事件の裁判記録を読んだ時、今回と似たような感覚を抱いた。

・事件の歴史的重大性とは対照的に、容疑者たちの供述は肩透かしをくらうほど短絡的で薄っぺら。

 

・私たちは今、痛みに耐えている。低迷の続く経済、相次ぎ大災害、終わりの見えぬ感染症。加えて隣国ロシアによるウクライナ侵攻。

・今回の事件を伝えるテレビニュースは<これから銃声が流れます>と丁寧な字幕を打つが、私たちはすでにこの半年ずっと、命を奪われる人々の悲惨な映像、発射される銃声やミサイル音に無防備にさらされている。

・戦争は暴力の究極形だ。その暴力に慣れ、肯定するかのような空気が知らず知らずのうち芽吹いていやしないかと自問する。

 

・事件の底流を歴史に探るのならば、原敬暗殺の背景の時代の相は重なって見える。

・各地で米騒動が勃発、物価急騰で貧富の差が拡大、行政の救貧事業は機能せず。

・格差社会の不穏に内務大臣は「階級調和」を求める訓令まで発布する。

・大正デモクラシー末期のテロからわずか数年後、日本は昭和初期の連続テロ、そして戦争の時代へと踏み入れていく。

 

・暴力、それを容認する空気は言論によって徹底的に対峙せねばならないが、その言論の劣化が著しい。

 社会的弱者へのヘイトが量産され、分断を煽る言説が幅を利かせる。

 発信力を増すネット社会では実名なら到底発せられぬような乱暴な言葉は飛び交う。

 言論の府たる国会も論戦は低調だ。

・人々の善意と信頼、そして「言葉」が前提の民主主義はガラス細工のようにもろい。

だからこそテロを育む土壌を作ってはいけない。

・先人たちが築き上げてきた自由で平穏な暮らしをこれからも享受するために、私たち自身の身辺から見つめ直せることは多いのではないか。

 

 7月9日(土)のスポーツニッポンに「主な過去の政治家への襲撃事件」が載っていたので、歴史の復習のつもりで紹介しておこうと思います。

・板垣退助(自由党総理)1982年4月6日 岐阜県で懇親会後に士族の男に襲われ、両手や胸部負傷。

・大隈重信(外相)1989年10月18日 外務省正門付近で男に爆弾を投げつけられ、右足紛糾後切断。

・伊藤博文(枢密院議長)1909年10月26日 初代首相。中国のハルピン駅で韓国の運動家・安重根に撃たれ死亡。

・原敬(首相)1921年11月4日 東京駅で19歳の青年に胸部を刺され、死亡。

・浜口雄幸(首相)1930年11月14日 東京駅のホームで政治団体の男に狙撃され、翌年8月死亡。

・犬養毅(首相)1932年5月15日 五・一五事件。青年将校らに射殺される。

・高橋是清(蔵相)、斎藤実(内大臣) 二・二六事件。岡田啓介首相らが決起した青年将校らに襲撃される。高橋、斎藤ら首相経験者が死亡。

 

・鳩山一郎(首相)1956年10月6日 文京区の鳩山邸に面会を求めてきた青年が短刀を所持。

・岸信介(首相)1960年7月14日 官邸でレセプション開催中に、老人に腹をナイフで刺される。 

・浅沼稲次郎(社会党委員長)1960年10月12日 日比谷公会堂で立会演説会中に、演壇に上がった17歳青年に刺殺される。

・三木武夫(首相)1975年6月16日 日本武道館の玄関で右翼団体の男に顔を殴られ軽傷。

・金丸信(自民党副総裁)1992年3月20日 栃木県で右翼の男に襲撃されたが無事。

・細川護熙(前首相)1994年5月30日 都内のホテルで右翼団体元幹部の男に銃撃されたが無事。

・石井紘基(民主党議員)2002年10月25日 世田谷区の自宅前で右翼団体代表の男に刺され、死亡。

 

・暗殺事件は何らかの個人の「不幸感」の社会的暴発という側面から起こることが多いから、コロナ禍がこれまでにない様々な社会的問題を新たに露呈させた現在の日本は極めて危ない状態あると言わねばならないであろう(筒井清忠教授・帝京大)

 2度とおきないことを祈ります。