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No弐-461 経験後の学び

 とにかく暑い1週間でした。お疲れ様でした。

 朝日新聞朝刊に「私たちはなぜ学ぶのか」が連載されています。

 No弐-452(6月22日)では、劇作家の平田オリザさんを取り上げ、「想像力を育てる学び」の必要性を学びました。

 今日は、一昨日6月29日(水)の田中宝紀(いき)さん(NPO法人青少年自立支援センター)の学びに注目してみました。

 見出しは、「経験と知識 広がる視野」、「自分と社会をつなげる『学び』」

 

★小中学校の頃

・国語と図工しかできなくて、あとはほぼ赤点レベル。

・算数は分数の割り算でつまずく。分母と分子をひっくり返す理由を先生に聞いても「そういうものだから」と言われ、全く納得できず、公式にただ当てはめることにすごく抵抗があった。

・学校に居場所がないように感じていた。

・小学4年くらいからずっといじめを受けていた。

 

★高校での転機、フィリピンへ

・高校に入ってもずっと学校がなじめなかった。

・父の知人で青年海外協力隊としてフィリピンで活動していた方の紹介で、現地の学校に遊びに行き、そのエネルギーに圧倒される。

・父の勧めで高校1年で退学。現地に1年間住む。

・首都マニラから車で3時間ほどの農村地帯。アパートはなく、一軒家を借りて一人で住む。

・タガログ語も英語も全くできなかったが、同級生や町の人がすごくかまってくれて、全く困らなかった。コミュニティーの一員に迎えてもらったという感覚があった。

 

★帰国後

・17歳で帰国してからも勉強は全くせず、アルバイトを転々。

・次第に「高校中退」が自分の選択肢を狭めていることに気付く。

・親の影響もあり、人の役に立ちたい思いは強かったが、このままでは誰の役にも立たない。

 

★再びフィリピンへ

・お金をためて21歳の時、フィリピンのセブ島に渡る。

・現地語のビサヤ語を習得し、メディアの通訳などの仕事を受ける。

・フィリピン国内の貧困問題に改めて目が向き、開発について学びたい気持ちが芽生えた。

 

★大学入学

・高卒の資格を取って、24歳の時、亜細亜大学国際関係学部に入学。

・関心のあった教育や世界史、国際法などまんべんなく学び、一気に視野が広がる。

・体験が先にあって、後から知識を補充したので、気づきの連続だった。

・大学2年の頃、「フィリピンの児童養護施設の支援をしないか」と誘いを受け、日本から寄付金を送ったり、スタディーツアーを開いたりする。

・その後、日本国内向けの事業として、日本語教育のボランティアを始め、海外にルーツを持つ子供の抱える問題を知るようになったことが、今の事業につながっている。

 

★学びとは

・自分の経験を社会とつなげる作業。

・視野を広げてから知識を吸収する方法もある。

・「ここじゃなくてもいい」「今じゃなくてもいい」

・今がつらくても、その先の「学び」をシャットダウンしないでほしい。

 

 いかがでしたか?学びに早い、遅いはないですね。

 経験があるからこそ分かる学び、学んで視野が広がる喜びってありますよね。