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No弐-334 塾暦社会?

 首都圏の中学受験がピークを迎える2月1日(火)の朝日新聞朝刊「耕論」のテーマは、「塾で人生決まる?」でした。それぞれの立場の3人のお考えの印象に残った言葉を抜粋してみました。

 

★大学教授の立場から(石岡学准教授・京都大)

・明治以降の教育制度から、学校のカリキュラムを修めるだけでは次のレベルの学校に進めないように設計されており、戦前の旧制中学・高校時代にも受け継がれた。

・学校の授業だけでは満足に対応できないうえ、1回の入学試験で合否が決まってしまうため、この「対策」を民間が担うようになったのが、塾産業の始まり。

・いま塾がもてはやされる背景には、最近ドラマ化された「二月の勝者」や、大学入試を題材にした「ドラゴン桜」のヒットがある。

・受験競争物語が人気を集めるのは、人の能力を指標化し、数字を工夫して上げていくロールプレイングゲームのような面白さがある。 

・日本社会は塾で人生が決まる「塾歴社会」なのか、というとそうではない。

・超難関校や有名塾の上位に入れるのはごく一部。

・子どもの未来に「保険」をかける感覚だが、保険は「保証」ではない。

・有名塾にいたことは大学の入学歴と同じような意味を持たないという意味で「塾歴」に実態はない。

 

・塾歴信仰よりも気がかりなのは、階層が固定化している子どもの増加で「子ども時代の序列が生涯を通じて変わらない」と感じている。

・最近の若者世代は1世代前よりも「努力すれば報われる」と答える割合が大きく下がっている。

・中学受験は、日本社会全体から見れば、特殊な一部の争い。

・社会に出てから大卒者の格差はさほど大きくない。

・12歳の春の「勝ち負け」で決まる差は案外小さいということを忘れないでほしい。

 

★教育ジャーナリストの立場から(おおたとしまささん)

・日本ではこれほど塾が存在感を持っているのは、教育制度が平等性を重視しているから。

・これだけ多くの家庭が上を目指すのは、日本の学歴偏重主義が根底にあるから。

・地位達成の手段としての教育という土壌があり、受験競争がある。

・そもそも偏差値で表される学力によって社会的地位が決められてしまう社会構造が、根本的な問題。

 

・恵まれた環境で得たものを世の中に還元する、という価値観を親も子も持ってほしい。

・偏差値が5や10違っても人生に影響はないと我が子に言ってあげよう。

・子どもの肩に乗りきらないものを無理に背負わせるのではなく、過剰な競争には付き合わないという防御役を担うべき。子どもを守ってあげられるのは保護者だけなのだから。

 

★保護者・作家の立場から(朝比奈あすかさん)

・昨年執筆した小説「翼の翼」は中学受験に加熱していく親を描いたもの。ストーリーの元は私自身が我が子の受験に際して抱いた感情。

・受験勉強の期間中、親は視野が極端に狭くなりがち。

・そんな「穴にはまって」しまうのは、進学塾を中心とするいまの受験システムの影響が大きい。

・テスト点数、順位、偏差値、推移のグラフ…。塾はこうした複数の数値を用いて「子どもの位置」を可視化する。

・塾は難関校を示すコースを示して、受験家族をあおり、親は目先の成績に一喜一憂し、子どもを追い立ててしまう。

 

・今の親の世代は就職氷河期を経験し、将来への確信を持てない時代を生きてきた。

 せめて子どもには、少しでも選択肢を手にできる土台を与えたいという切実さがある。

 限られた時期に、道を外させず、ワンチャンスを逃さず。

 そんな親の行動が格差社会につながり、さらに親の焦りや過熱を生むと言う悪循環が起きていると感じる。

・子の将来を案じる親心は、実は子どもの力を信じていないのではないか。

・「子どもは未来を選び力がないから」。そんな親の思い込みが、子どもの手を引っ張てしまう。

 本当は子どもは色んな方角へと羽ばたく翼を持っているのに。

・「二月の勝者」は2月に合格を勝ち取っても、それは「人生の勝者」になったということではない。

・中学受験は「人生の通過点に過ぎない」と俯瞰し、どんな結果でも子どもを信じて見守ってほしい。

 

 3人の最後のメッセージがとても響きました。個人面談や保護者会で話してあげたら、きっと気持ちが楽になる人がいると思いますよ。