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No弐-325  オリンピアンから学ぶ3

 昨日は、皆さんも遅くまで男子団体ジャンプと女子カーリング韓国戦をご覧になっていたのではないでしょうか?結果は残念でしたが、よく頑張りました。

 今日は、朝日新聞朝刊「Why I Stand だから私はここにいる」に注目しました。

 このコーナーは、夏のオリンピック開催期間中、全16回連載されました。

 No弐-137・138「オリンピアンから学ぶ」(8月11日・12日)で4人の選手を取り上げました。

・スラム街で育った7人制ラグビーのフィジー代表の選手は、お母さんが買ってくれた靴を大切にしました。

・テコンドー男子アイルランド代表の選手は、卵売りクッキー焼いて遠征費を稼ぎました。

・射撃に出場したジョージア代表の52歳の選手は、13年前の北京五輪で軍事衝突が起きたロシアの選手と表彰台で抱き合い、観衆から拍手が沸き上がりました。前回のリオでは、息子と五輪史上初の「母子出場」を叶え、夏季五輪9回出場は歴代の女子で単独1位。

・イギリス代表の黒人女性の選手は、英国史上初めでオープンウォータースイミングに出場し、黒人は泳げないという偏見を覆しました。

 

 今日の「Why I Stand」は、先日スピードスケート女子500mで金メダルを獲得した米国のエリン・ジャクソン選手です。力強い走りが印象に残っています。

 黒人女子として初めてのスピードスケートの金メダリストです。この陰には、ブリタニー・ボウさんと言う方の存在があるそうです。

★黒人女子初の金 扉を開いた恩人へ

・2人はフロリダ州の同じ街で育った。

・インラインスケートの同じチームだったが、ボウが先にスピードスケートに転身。

・ジャクソンは4歳上の同郷の先輩の活躍を見て、6年前に初め氷の上でスピードスケートの靴を履くが、上手に滑れず、寒いのも苦手ですぐにやめた。

・しかし、潜在的な才能は逃されることなく、2017年秋に本格的に取り組み始め、18年に平昌五輪に出場し、初めて出場し、500mで24位。

・今季のW杯開幕戦で初優勝するが、1月の米国代表選考会(代表枠2)で3位。

・選考会で1位になったボウは、彼女よりふさわしい人はいないと500mの枠を譲る。

「彼女は、ここにいるべき存在と証明した」

・ボウはその後追加枠で出場が決まるが、16位。

「ブリタニ―が譲ってくれた。感謝は一生忘れない」

 

 「Why I Stand」には、2月9日(水)にもう一人の黒人女子選手の記事がありました。

 ショートトラックに出場した米国のマーム・ビニー選手です。

★差別に抗議 氷上の「別人格」が背中を押すから

・2大会連続の出場。平昌五輪(2018)のショートトラックに米国代表で初めてのアフリカ系黒人女子選手として出場。

・移民として父子家庭で育つ。ガーナで生まれ、5歳から父のいるバージニア州に移り、6歳でスケートを始める。

・つらいことや差別的な経験もした。小学校低学年では疑心暗鬼になりがちで、そんな時に「別人格」に気付いた。本名を出したくない時に思いついた名前がアナ。

・普段はおっとりしていて目立たない性格だが、スケートでは「別人格」で滑っている。

・氷の上に立つと目つきが変わる。威圧感のような雰囲気さえも漂う。

・氷上の成功体験は、本来の彼女を成長させ、20年5月のミネソタの黒人男性が白人警官に襲撃された事件の時も反対する父親を説得し、SNSで差別の抗議をし、苦しむ黒人たちの相談できる連絡先なども載せた。

 女子500mでは惜しくも準々決勝で敗退してしまいましたが、1000mなどに出場する予定だそうです。

 冬季オリンピックも黒人の選手の活躍をもっと見たいですね。