今日は、北京冬季オリンピック開幕前日(2月3日)の朝日新聞朝刊の「もっと知ろう 冬季五輪」が面白かったので、紹介しますね。
★フィギュア 「元々は夏 1924年から移行」
・フィギュアスケートは元々、冬の五輪競技ではなかった。
・五輪で最初に実施されたのは、今から100年以上前。夏季ロンドン大会(1908) 。
・当時、欧州で初めて室内の人工リンクがロンドンに完成し、冬ではない時期でもスケートができるようになり、北欧で人気だったフィギュアスケートを夏季大火に取り込んだ。
・ロンドン大会の男子シングル初代金メダリストがウルリッヒ・サルコー(スウエーデン)。サルコージャンプの由来になった人物。
・大会では、男女シングルとペアのほか「男子スペシャルフィギュア」が行われた。
これは片足のエッジ(靴の刃)を使って、いかにうまく氷に図形を描けるかを競う。
・その後、次第に冬季五輪への関心が高まり、シャモニー・モンブラン(フランス)で第1回の冬季五輪(1924)が開催され、夏季競技から移行した。
★ショートトラック 「最後尾の男 幸運の「金」」
・ショートトラックでは「世界一ラッキーな男」として記憶されている選手がいる。
シドニー生まれのスティーブン・ブラッドバリー(当時28歳)。4度目の五輪挑戦。
ソルトレークシティー五輪(2002)の男子100mの南半球初の冬季五輪金メダリスト。
・準々決勝は3着ながら失格選手が出て繰り上がる。
・準決勝は最後の1周で3人が転倒、1人が失格となった1位。
・決勝は、スタートからずっと最後尾。終盤、スピードを上げる4人に引き離されるが、最後のコーナーで、先頭を争っていた4人がもつれあって転倒。
大差をつけられていたため巻き込まれず、金メダルが転がり込んだ。
・母国・豪州では大盛り上がりで、すぐに記念切手の発行が決まった。
・大会後は消防士になるつもりが、帰国後スポンサーの申し出が相次いだ。
・05年には「ラスト・マン・スタンディング(最後に立っていた男)」という本を出版。
★ジャンプ 「スーツ ゆとり巡り攻防」
・ノルディックスキー・ジャンプの選手が着るスーツは、完全なオーダーメイドで1着およそ10万円。
・生地は、ナイロンやウレタン、スポンジなどが階層になった素材で、通気量まで決められている。
・厚さは6ミリ以内。保温性がないため寒く、転倒時には体を守るクッションもない。
・選手は基本、体にフィットしたサイズを着なければならない。特に腰回りはぴったりの大きさに。男子は1~3cm、女子は2~4cmのゆとりは許される。
・このわずかなゆとりをめぐり、各国のメーカーはギリギリの勝負をしている。どんな形状のスーツを作るかは企業秘密だ。
・日本選手団にスーツを提供しているのはミズノ。担当者の尾形さん(24)は、大学まで複合の選手で、選手の採寸からミシンを使った妥協しない微調整を担う。
★カーリング 「なぜ曲がる 神秘のまま」
・カーリングは「最もミステリアスなスポーツ」と称されることがある。
・カーリングの石の素材は花崗岩で、重さは20㎏。
・投じた石に回転を加えることで、野球の変化球のように右や左に曲がっていく。ただ、この曲がる原理はまだ正確に解明されていない。
・カーリングの石は右回転なら右へ、左回転なら左へ、回転方向と同じ向きに曲がっていく。
コップを回転させて机の上を滑らせると右回転なら左、左回転なら右に曲がる。
・回転した石の片側の氷が少し解けるため、薄い水の膜ができて、その方向に曲がるという見立てもあるが定説はない。
★フリースタイル 「日本発ブランド 表彰台独占なるか」
・フリースタイルスキーのモーグルの堀島行真、川村あんりは同じブランドの板を履く。
・スキー板ブランド「ID one」は、大阪府守口市にある社員4人の会社「マテリアルスポーツ」が手掛ける。
・開発のきっかけはゴーグル輸入代理店を営んでいた藤本社長(63)と08年長野五輪7位入賞の上村愛子さん。自身の滑りに満足していないのを察し、「おれが(板を)作ったろか」
・当時主流だった板の幅が平行に近いタイプから大胆なサイドカーブを描く形状に変更。エッジには一定間隔で刻みを入れ、よりしなる板を作り上げた。
・ヤンネ・ラハテラ(フィンランド)がソルトレーク五輪(2002)でこの板を履いて金メダルに輝くと、オファーが殺到。
・ワールドカップで表彰台に上がる選手で、「ID one」を履く選手の占める割合は高い。
1日1つ、明日からの「授業のまくら」にいかがでしょう。
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