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No弐-300 無差別襲撃事件を考える

  1300号に達しました。今日は、今日の朝日新聞朝刊「文化」欄にあった「相次ぐ無差別の襲撃事件 社会学者・宮台真司さんに聞く」に注目しました。

・大学入学共通テストが始まった15日、東京大学周辺で受験生らが襲われる事件が起きた。

・昨年から小田急線や京王線の刺傷事件、大阪・北新地のビル放火事件など、無差別に人々に危害を加え、自らも死を望むような事件が相次ぐ。

・「他人を巻き込んだ間接的な自殺」に見える事件が目立つ。

・近年日本で無差別の殺傷事件が頻発しているのは明らか。

東海道新幹線車内の殺傷事件(2018)、京都アニメーション放火殺人事件(2019)

 

★成育環境の激変

・秋葉原無差別殺傷事件(2008)、「黒子のバスケ」脅迫事件(2012~13)では、加害者2人の成育環境が見えてくる。

 秋葉原事件の加害者Kは、進学校での成績低下で人生が終わったと思い、派遣労働者として孤立を深め、ネットにも居場所を失った。

 人気漫画を標的とする加害者Wも、自らを人間関係や社会的地位など失うものがない「無敵の人」だと陳述し、Kを擁護した。

 

・人を殺せないのは、殺してはいけない理由があるからではない。殺せないように育つからだ。

・感情面の発達は、どんな人間関係の中で育ったかで決まる。

・成育環境が1960年代から90年代にかけて激変した。

 

<以前の子どもの育ち>

①異年齢集団による外遊びで共通感覚を養い、見ず知らずでも互いに仲間になりうると感じる対人能力を培った。

②親や教員が与えた思い込みが、親戚のおじさんや近所のおばさんの「ナナメからの介入」で緩和された。

③教室には団地・農家・商店・ヤクザなどの子が通い、互いの家を行き来していろんな生き方を学べた。

④家族の外でも全人格的に扱われ、SNSのいいね!の数で代替できない尊厳(自己価値)を持てた。

 

<人間関係の空洞化>

・60年代の団地化で地域が、80年代のコンビニ化で家族が、90年代のケータイ化で関係全般が空洞化した。

・土地に縁のない「新住民」の不安から遊具撤去や校庭ロックアウトが進んで外遊びが消えた。

・地域が不信ベースになって親以外の大人との交流が消えた。

・親と教員とネットと友人との希薄な関係だけが残った。

 

<ただの人・誰でもいい人>

・子は、親の自己実現のダシにされ、進学校に入れと尻を叩かれるが、かつてと違ってその価値観の外が分からない。

 地元の公立で優等生だった子も進学校にはいれば、多くは教室で「ただの人」。

・疑似共同体をやめた会社でも、希薄な関係の中で置き換え可能な存在で、競争に負ければ「ただの人」。

・人の感情は、こうした過剰流動性に耐えられない。

・無差別な加害行為の背後には、加害者自身が置き換え可能な「誰でもいい」存在として扱われてきた怨念がある。

 

<社会的背景と今後>

・30年間続いてきた絶えずクビに脅える非正規雇用化

・絶えずハブられること(仲間外し)に脅えるSNS化

・グローバル競争とテクノロジー化は今後も確実に進み、「誰でもいい人」が量産される。

・豊かな感情を育んだ生活社会は生産性が低い領域とされ、今後も市場化される。

・流れを止めるのは難しい。

 

★子どもに接する姿勢の改善

・親の経験値が低くても、多様な大人に接する機会を増やす。

・様々な映画や音楽に接する場を与え、自分の日常とは違う世界があるという想像力を培う。

・「人生の選択肢は一つじゃない、横道にそれても別の生き方がある。

面白くて幸せな人生はたくさんある」と周囲の子らにメッセージを伝えてほしい。

 

 いかがでしたか?子どもたちには「ただの人」「誰でもいい人」なんて思わせたくありませんね。

 私たちが子どもたちに何を伝えていくか?重い課題と強い責任を感じました。