今日も朝日新聞「震災を知るということ」の「下」を紹介します。
★「味わった絶望 憧れが戻った今」(1月15日)
・山口貴之さん(35)は、消防の道に進んだ。きっかけは中学3年の時、母が病気で倒れ、救急救命士に助けられたこと。
・大学を経て2009年、同県宝塚市消防団で消防士になり、希望した救急隊に配属された。
・だが、3年で挫折を味わう。休暇で旅行に行った帰り、カーラジオが姫路市の工場で爆発事故があり、消防士1人が死亡したことを伝えていた。
・その1人は、なんと同期で特に仲の良かった友人だった。
・遺体には多数の傷。顔を見ることができなかった。
・その後、別の友人が交通事故で亡くなったことも重なり、仕事に手がつかなくなった。
・上司のすすめで、休暇をとった。
・自宅でぼうっとしていると、阪神大震災で救助にあたった消防士が環境防災科の授業で話していたのを思い出した。「目の前にいる人を助けられない絶望感を味わった」
・消防学校の教官の言葉も頭に浮かんだ。「とにかく。絶対に死ぬなよ」。
・あの時はまだ、人ごとのように聞いていた。
・1週間後、隊長が朝食に誘ってくれた際、涙ながらに打ち明けた。「続けたいけど、もうできそうにない」
・「お前が必要だ。この経験を後輩に伝えて、同じような事故をなくしてほしい」と諭された。
・周囲の気遣いに助けられ、どうにか職場を復帰したが、目標を見失ったままだった。どこか孤独だった。
・数年後、ふと、環境防災科のことを思い出した。先生に連絡し、教室の後ろで授業を1時間、見学させてもらった。後輩たちは、パソコンで防災教育のプレゼンを練習していた。
・授業が終わると消防士を志す後輩たちが集まってきた。きらきら輝くまなざしに、かつての自分を思い出した。亡くなった親友の分もがんばって、もう一度救急救命士をめざしてみるか。
・事故から9年。山口さんは、昨年3月、救急救命士に合格した。
・友人を亡くした自分には、命の重さを語る役割があるのではないか。そう考えられるようになったのは最近のことだ。
・いま救急救命の講習で小学校や福祉施設に出向いた時は、亡くなった親友のことや幼い時の阪神大震災の経験を話している。
・救急車で駆けつけ、患者の家族に「ありがとう」と声をかけられる。消防士になって良かった。いまは後輩たちに、そう言える。
いかがでしたか。「命の重さ」時には子どもたちと一緒に考えてみたいですね。
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