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No弐-244 大村はま先生の椅子

  今日は11月15日(月)朝日新聞夕刊からです。時々図書館によると、普段読むことができない夕刊に目を通すことがあります。

 見出しは「授業の神様の椅子復刻 今こそ」。写真を見てすぐ大村はま先生だと気が付きました。このがるべるでも、大村はま先生のことを何回か紹介したことがあります。

 そのはま先生が、中学校の教室で使った椅子を製造した会社が、教師や教育委員会に送る計画を進めているという記事でした。

 

・はま先生が使っていた丸椅子は、座面の直径30㎝、高さ48㎝。ナラ材でつくられている。

・この椅子について自身が語った映像が放映された。NHKの番組「わたしの自叙伝」。

<この椅子、いろいろの子どものそばに寄せて、そのときどき、その一人と、ことばを結び、語り合ってきた椅子です>

・ある授業で、一人の子どもに話したいと、そこにあった椅子に腰かけたとき。

<話しながら、それまで知らなかったような語りごこち、教えごこちを味わいました。

 ほんとうに、一人と一人という気分でした。

 ほんとうに、子どもを見下ろさない姿勢でした。

 私は、子どものそばに、腰を低くして寄り添うという教室の大切な姿勢を学んだのです>

・この椅子を「黄金の椅子」と表現したのが、日本国語教育学会長だった故倉沢栄吉先生だった。

<教師は同席者、参加者でもありますね>

<共演者と言うか、監督ではなくて、子どものそばへ、例の「黄金の椅子」を持っていって、座って、いっしょに話し合う。いつのまにかすうっと消えるといったような>(「ことばを豊かにする大村はまの国語教室」)

 

・「椅子は、ここぞというときにそばにやってきました」

軽い木の椅子をひょいと持ち運んでは。助けのいる子や相談相手の必要な子の隣において小声で言葉を交わし、ヒントを与え、背中を押した。

 

・黄金の椅子は、長く教壇に立った石川台中で使っていた。退職時にもらい受け、死後も栃木県のさくら市の親戚宅に保管されていた。

・椅子には「帝国機材株式会社製」との金属板が貼られていた。

・自叙伝を印刷した会社が帝国機材製と気づき、帝国機材の印刷物も手掛けていたので、先生が愛用していたことを伝えたことで、復刻が提案された。

・復刻が決まったのは17脚。「大村はま奨励賞」6脚、石川台中、出身地の横浜市の教育委員会、鳴門教育大「大村はま文庫」に寄贈。

 

 「子ども目線で腰かけ寄り添う」教育の原点が蘇ってきました。椅子があれば腰にもいいですよね。