· 

No弐-234  文豪道場 瀬戸内寂聴さんから学ぶ4

 今日も「文豪道場」の後半です。「寂聴 残された日々」から抜粋した今年6月からの私のお気に入り表現を紹介します。

 

72 ほたるの夕べ(6月10日) ほたるから彼を思い出しています。

・「淋しい」などと、一口で言える感情は、とうに忘れてしまって、ぼんやりとした温いなつかしさだけが身の廻りに集っている。

 「ぼんやりとした温かいなつかしさ」っていいですよね。ある感情が身の廻りに集ってみたくなりました。

 

73 寝床の秘密(7月8日) お母さんの思い出が語られています。

・母が私の布団をまくり、木の洗濯ばさみで、鼻をはさんでいる私の秘密をあばきだした。

「あばきだす」久しく聞かなかった言葉でした。

 

74 森の奥のような静かさ(8月12日) 台風の思い出と施設の様子、気になる寂庵が語られています。

・小学校の二学期のはじめに決定的な颱風が訪れた。

 「颱風」が気になり、辞書で調べると「日本では平安時代から「野分」が用いられていたが、明治になって、片仮名でタイフーンと書いたり、「大風」と表記したりするようになった。岡田武松が明治40年(1907)に台風を学術的に定義付けたのを受け、大正時代から「颱風」が一般化した」と書いてありました。この字オシャレですよね。

 

75 なつかしい人(9月9日) 高橋三千綱さんとの思い出が語られています。

・毎晩、5、6合は平気だという高橋さんは、私と食事の間には、ほとんど食べずに、するすると、酒を喉に流していた。

・三合くらいでは、相手の話に、返事は狂わなかった。

 「するすると酒を喉に流す」「相手の話に返事は狂わない」使ってみたくなりました。

 

76 卵焼きの思い出(10月14日) またまたお母さんとの思い出が語られています。

 最終回になってしまいました。寂聴さんにとっては偉大なお母さんだったんですね。今年は、お母さんを思い出す日がぐんと増えたのでしょう。

 ふと私の母も今頃自分の母を思い出しているのだろうか?なんて考えてしまいました。

・「秋の表現」空気はつめたくて、はだかの足やうでに、ふろしきのように、からんでいた。

・人間は、つらい時だけに泣くのではなく、嬉しい時にも涙を流すものだとあの時、知らされた、と言う母の打ち明け話は、母と共にしっかり心の襞(ひだ)にしがみついてきた。

・あんなに早く死ぬなら、もっともっと、やさしく想いをこめて看護してあげるべきだったと、心がしぼられてくる。

 「ふろしきのようにからむ」、「心の襞にしがみつく」、「心がしぼられる」が心に沁みました。