今日と明日は、久々に「文豪道場」です。2015年6月から朝日新聞に連載された「寂聴 残された日々」から抜粋した今年の私のお気に入り表現を紹介します。
67 数え百歳の正月に(1月14日) 偏食を直すための断食寮と母の思い出が書かれていました。
・小学校に上がった通信簿には、全て甲ばかりが並んでいたが、最後の頁(ページ)の体育のところに丙というまがまがしい字があった。
「禍禍(まがまが)しい」という言葉を使ったことありますか?
辞書には、「不吉な感じがするようす」「いまわしい」と書いてありました。忌々しく思っていたんでしょうね。
・数え百歳を迎え返る時、何とまあ、百年の短かったことよという、感慨のみに包まれてくる。
他に「感慨に耽(ふけ)る」という言葉もあり、「心に深く感じて、周囲の様子が気にならなくなる様子」という意味があります。
軽くしみじみするだけでなく、長時間その場に立ち尽くしてしまうくらい、しみじみした気持ちに心が支配されてしまった時、「感慨に耽る」を使うそうです。
68 春を告げる香り(2月11日) 寂庵にある3本の梅の樹の思い出が語られています。
・庭は梅の香に満たされ、三本の梅の香がむせるように漂っていた。
・折からピンクの花がいじらしく咲いていた。
「むせるように漂う香り」「いじらしく咲く花」を想像してみてください。
69 老親友との往復書簡(3月11日) 横尾忠則さんとの交流の思い出話でした。
・若々しさが匂うような美青年だった。
・その美少年ぶりが何より心に沁み込んだ。
・初対面の横尾さんの美少年ぶりは強烈で、私の目の底にきっかり焼き付いてしまった。
「若々しさが匂う」「心に沁み込む」「きっかり焼き付く」を想像してみてください。
70 再会したいひと(4月8日) 橋田寿賀子さんとの思い出話でした。
・「戦争」を空気や水のように呑みこんで育った。
「空気や水のように呑み込む」ものって何があるのでしょう?
71 白寿の庵主(5月13日) 白寿になった思いを語っています。
・嵯峨野に寂庵を結んで以来…
調べてみると、時代小説などでは「庵を結ぶ」と言うような使い方をするそうです。
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