瀬戸内寂聴さんが9日にお亡くなりになりました。朝日新聞朝刊では、毎月第2木曜日に寂聴さんのエッセー「寂聴 残された日々」が連載されていたのを楽しみに読んでいたのですが、昨日のこのコーナーは、落語界の2人の巨匠の話題で、最後に◇「『寂聴 残された日々』は瀬戸内寂聴さん静養のため休みます」と書かれてありました。
あれっと思い、しばらくすると、亡くなられたネットニュースが目に飛び込んできて、驚きました。
では、今日の各紙の見出しを見てみましょう。
・「愛した 書いた 祈った」「情熱に生きる女性描く」「『源氏物語』の伝道師」(読売新聞)
・「愛した 書いた 祈った」「寂聴さん 自由な女性の生き方体現」「99歳 最後まで机に向かい」(朝日新聞)
・「女性の生き方 等身大で」「書くことひたすら70年」(日本経済新聞)
・「99歳作家で僧侶、愛と業描く」「書くという業を生きる」(神奈川新聞)
・「99歳情念のまま生き抜いた」(スポーツニッポン)
そういえば、一月前の10月13日にNo弐-200「柳家小三治さんを偲ぶ」と書いたのは思い出しました。「偲ぶ」は適切ではありませんでした。
★「弔う」と「悼む」と「偲ぶ」
「弔う」は、遺族に対して思いを伝えることを表現する時に使う。
「悼む」は、人の死を悲しむことを表現する時に使う。
「偲ぶ」は、懐かしく思うことを表現する時に使う。
新聞から拾ったいくつかのエピソードを紹介します。
・半世紀を超す作家生活で刊行した本は400冊以上。
・自身の墓碑に刻む言葉は<愛した、書いた、祈った>と決めていた。
・ペンを握る右手の指は曲がったままだった。背骨の圧迫骨折もそう。
・片方の視力を失い、92歳で胆のうがんの手術を受けても、正座して机に向かった。
・書く情熱は衰えず、95歳になっても徹夜し、長編小説やエッセーを書いた。
・聖と俗、絢爛たる文学と硬質な正義、両方を大事にした。
・自分の目で見て、やってみなければ始まらない。その精神を貫き、平和を訴え、命を尊んだ。
・多くの人に愛されたのは文学や仏教の知識、波乱に満ちた人生経験から紡がれる言葉に加え、尽きることのない好奇心や人間味あふれた愛らしさではなかったか。
明日につづく
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