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No弐-204 江戸マスク  

   今日は、読売新聞に毎月連載されている磯田道史先生の「古今をちこち」からです。磯田先生といえばNo273(2019年3月26日)で紹介しました。

 小学生の頃は、家の庭に出雲大社の模型を作ったり、近所の原っぱに竪穴式住居を作ったり、大学まで図書館の本全ての制覇を自分に課し、何日も飲まず食わずこもり、倒れて救急車に運ばれたエピソードが印象に残っています。 

 

 マスクは、江戸時代に開発されていたことをご存知でしょうか?明日の「授業のまくら」にいかがでしょうか?

①「御○袋」という悪臭防止マスク ②「○面」という鉱業用マスク

 

①1830年頃 開発者・暁鐘成(あかつきかねなる)戯作者

・お公家さんが便所で使用しているとの触れ込み。

・耳から紐でかけ、お香を中に仕込んで芳しいが、覆うのは鼻だけ、口は○出し。

・正解は「御鼻袋」。上の2行がヒントになりかもしれませんね。

 

②1855年頃 開発者・宮太柱(みやたいちゅう)医者

・岩見銀山の労働者の若年死を防ぐために開発。

・現代のマスクと同じ形状。柿渋を塗った絹布を針金の枠につけ耳から紐でかける。

・中に梅肉を仕込み、殺菌と唾液分泌を測った優れもの

・正解は「福面」。これは3択にするか、ヒントが必要かもしれませんね。 

 

 さてこの「江戸マスク」の先駆者は、どうなったかというと哀れな末路をたどったというのです。

①暁さんの店舗は、「御殿づくり」で身分不相応の贅沢とされ、「天保の改革」の時に破壊されてしまいます。

 暁さんは、旅行ガイドやグルメほんの編集者でもあり、倹約令を徹底させたい幕府の役人に目の敵にされ、文化娯楽や発明工夫は危険思想とみられ、取り締まりの対象になります。

 暁さんは、老いても妻の親戚をたよって福知山(京都府)に旅行した際、過酷な政治に苦しむ農民たちから藩への要求書の起草を頼まれます。

 その後、農民の要求運動は強訴・一揆になり、藩に要求が通ると解散。すると首謀者探しがはじまると、暁さんは「一揆の首領」にされてしまい、獄舎につながれ、獄中で68歳で亡くなりました。

 

②宮さんは、超絶の知識人で、西洋科学に詳しい人でしたが、西洋化に反対する攘夷の活動家に同情的で世話を焼いていたのです。

 西洋に詳しい横井小楠が新政府に重用されると攘夷派は斬殺後、宮さんの家に逃げる。

 宮さんは、捕縛され、横井の暗殺計画を通報せず、犯人の逃亡を助けたとされ、三宅島に終身流刑となってしまいました。そして、島は寒い盛りであり、着いて8日ほどで病死しました。

 

 磯田先生は、「日本のマスクの先駆け2人はともに権力を恐れず苦境にあるものに親切だった。それが裏目に出て政治的事件に連座して拘禁され病死に追いやられた点で驚くほど共通している。しばしば発明は異端の才能がもたらす」としています。

 この2人のその後のエピソードを紹介し、共通点を話し合わせてみても面白いかもしれない。発明と異端な才能の関係に気付く子もいるかもしれませんね。