· 

No弐-200  柳家小三治さんを偲ぶ

 1200号に達しました。1000号に達したのが、今年の3月27日でした。あれから6カ月半が過ぎました。

 昨日の東京の感染者は77人、神奈川は46人。少ない数字はホッとしますが、第6波は覚悟してます。

 さて、記念すべき1200号は、私の一番好きな落語家で古典落語の第一人者、人間国宝の柳家小三治さんを紹介したいと思います。7日心不全のため81歳で急逝されました。

 

 見出しを見ると小三治さんの人柄が偲ばれます。

・「落語演る夢」見果てぬ夢、ひょうひょうと「間」操る(読売) 

・唯一無二 自由な人間落語、あたたかさのぞく緻密な芸(朝日)

・81歳、滑稽話の名手、「落語とは」生涯問い続け(神奈川) 

・絶妙な語り現役貫く、「本格派」の落語家(日経)

 

・東京都新宿区出身。本名・郡山剛蔵(こおりやまたけぞう)

・「東大以外は大学じゃねえ」と言う厳格な教師だった父に反発して、落語の道に入った。

・高校3年の時、ラジオ東京(現・TBSラジオ)の番組「しろうと寄席」で15週勝ち抜き。

・1959年に五代目柳家小さんに入門し、69年に17人抜きで真打ち昇進と同時に師匠の前名「小三治」を十代目として襲名した。

 

・若き日、師匠から「おまえのはなしは面白くねえな」と指摘されたことから本格的な探究の歩みが始まった。何がいけないのか、笑い、おかしみとは何かと自問自答を繰り返した。

・たどり着いたのは、聴いている人を笑わせようとして、あれこれ仕掛けてしまう作為の否定。思わず笑ってしまう、そんな笑いの追求だ。

・オーバーなアクションなどは使わず、絶妙な間で客席を笑わせた。

・どこかぶっきらぼうな口調で頬を緩ませるようなことをぽつりと言う。

・ひょうひょうとした高座が人気を集め、憂いのある低めの美声に、心地よい「間」を操った語り口で「青菜」「死神」「厩火事」「千早振る」「初天神」など数多くの噺を一級品に磨き上げた。

 

・古典の滑稽噺や人情噺を幅広く演じた。

・高座に上がった時は、決まってスーッと物音が消えて、静かになった。

・高座にいる、それだけで人々の心が一つになる稀有な存在感を持った噺家だった。

・同じ噺を何度聞いてもあきることがない。

・本題に入る前に様々な話題を語る「まくら」の面白さにも定評があった。

・日常の中に非日常を見つける手法で、人間を、世の中を自由に語る。

・飄々としているように見えるが、考え抜かれた緻密な芸が支えていた。

・数少ない「本格派」「主流」と言える落語家だった。

 

・物事や人々の魅力を見つける才能の持ち主だった。

・オートバイ、オーディオ、ゴルフ、ボウリング、スキー、映画、クラシック音楽、歌謡曲、俳句、塩、ハチミツ…。多趣味でその趣味にも真っ当に取り組んだ。若い頃は愛用のオートバイで寄席へ出勤していた。

・商売柄、歯の手入れには余念がなく、死の当日だかにも歯医者に出かけたようにきいている。

・昨今は読書三昧の日を送っていたようだ。このところは永井荷風に傾倒していたらしい。

 

・21年春に入院したが、5月に復帰、7月には20枚組のCDも出した。

・「今日の高座でおしまいかなといつも思っている」と言う一方で「駄目なら駄目で、新しい自分の在り方がどこか出てくるのじゃないかという希望もある。だから、ここのところ楽しい」と話していた。どこまでも納得のいく高座を目指していた。

・10月2日の東京都府中市での一門会にも姿を見せ、今後も多くの高座の予定があった。まさに現役のまま逝った。

 

・「うまくやろうとしないこと。それが、難しい。(中略)じゃあ、下手なまんまでいいのかっていうと、そうじゃないんだよねえ」

・「形を取り払って中身を、心を見ていくこと」

 授業も同じだと思いませんか?「間」や「まくら」などたくさんの刺激をいただいた方でした。ご冥福をお祈りします。