今日も一緒に 「がんばれ」という言葉は相手への応援になるのか、負担になるのかを考えてみたいと思います。
昨日に続いて、9月29日に投稿された5人のお考えを抜粋しました。
⑥女性(兵庫県59)「『上から目線』でいうのはNG」
・「がんばれ」と言われて「よし、がんばろう!」と思えるのは、「がんばれ」と言った人自身ががんばっているかどうかで変わってくる。
・軽々しく「がんばれ」なんて言わないでほしい。みんなそれなりにがんばっているのだから。
・悩み苦しんでいる人には、何に困っているのか、なぜうまくいかないのか「一生に考えよう」と言う姿勢で「どうしましたか」と優しく聞いてあげることだと思う。
⑦女性(埼玉県82)「闘病の娘に言えばよかったのか」
・娘が45歳の時、急性骨髄性白血病を発症、入退院を繰り返しました。昨年末、7年4カ月の闘病もかなわず53歳で生涯を閉じました。
・他界する1か月ほど前、娘から「友達に『がんばってね』と言われると、うれしくて励みになるんだよ」と聞かされ、「言ってほしかったんだ」と胸が痛くなりました。
・その後、孫にも励まされ「もうひとふんばりがんばってみるね」と、病魔と闘い続けました。「がんばれ」という言葉を発することの難しさを感じています。
⑧男性(愛知県57)「できる範囲でボチボチいこうよ」
・私は「頑張れよ!」と声を掛けられると「これ以上何を頑張ればいいのだろう」「人の気も知らないで」などネガティブな気持ちに陥り落ち込んでしまうことがよくあるんです。
・過去に勤務先の代表より「『頑張る』という言葉は使うな。一生懸命という言葉を使ったらどうだろう」と提案されたことがありました。
・身近に困っている人がいたら「ボチボチやっていこう」「できる範囲で構わないよ」と声を掛けてあげる方が、相手にも気持ちが伝わるのではないでしょうか。
⑨女性(静岡県49)「努力を認める言葉 欲しかった」
・励ましであっても。親や周りの大人から「頑張らなきゃね」と言われるのがつらかった。「頑張れ」は「もっと努力しなさい」のような呪いの言葉だった。
・「頑張って」ではなく、「頑張っているね」と努力やそうする姿勢を認めることが大切と知って、自己肯定感が低い私は、「この言葉が欲しかったなあ」と今更ながら思う。
⑩女性(長崎県17)「魔法の言葉 毎朝のルーティン」
・「がんばらんでいいよ」の言葉とグータッチで、私の朝は始まる。学校に行く前のいつもの母とのルーティンだ。私の心の支えになっている。
・中学生の頃、母から言われた言葉は完璧主義な性格だった自分には心に深く残り、肩の力を抜くことができた。
・私の周りにも真面目な努力家であるゆえ、特に一人で抱え込み過ぎて暗い表情をする友達がいる。そんな彼女に私は「がんばらないでね」とたまに声をかける。
10人中9人が女性でしたね。記者が上手にまとめられていました。
・誰かが落ち込んだり、困ったりしていたら?
「寄り添う」「うなずくだけでいい」「相手と同じ目線に立つ」…
・「がんばれ」の代わりの言葉は?
「そばにいるから」「吉報待つ」「お大事に」「無理しないで」…
・人生はその人のもの。それでも気にかけてくれる誰かの存在があれば、山も谷も歩んでいけるかもしれません。
いかがでしたか?「がんばれ」は、改めて万能ではないことに気付かされました。
そして「気にかけてくれる存在」に少しでもなれたらいいなと思いました。
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