今日の新聞各紙は、白鵬引退のニュースを大きく取り上げていました。なんたって記録にも記憶にも残る大横綱ですからね。
そういえばNo998(2021年3月25日)で「鶴竜引退」を取り上げたことを思い出しました。あの日は、柔道の古賀稔彦さんの訃報の大きさに、横綱鶴竜の現役引退のニュースがやや霞んでしまっていました。各紙の見出しは、朝日新聞「優しき横綱 静かに引く」、読売新聞「『技の横綱』再起ならず」でした。
あれから半年、白鵬はどうでしょう?読売新聞「大横綱 独走14年」「『最強』白鵬 光と影」、朝日新聞「型破り 白鵬時代」「白鵬 優しき我が道」、神奈川新聞「勝利追求に孤独感」「優勝に代償 右膝限界」でした。
・15歳だった2000年10月、モンゴルから6人の仲間とともに来日。
・大阪の実業団に預けられ相撲部屋からのスカウトを待っていたが、当時は1m75㎝、62㎏とやせ細っていたこともあり、どの部屋にも引き取り手がなかった。
・チケットを手配し帰国の途に就こうとしていた寸前で宮城野親方に拾われた。
・01年初土俵(デビューから20年)。黒星で始まった。
・モンゴル相撲の経験もなかったためデビュー場所は3勝4敗で負け越し。
・稽古場では負け続け、悔し泣きは毎日だったが父・ムンフバトさんの顔に泥を塗りたくない一心で「帰る」とだけは言わなかった。
・同じモンゴル出身の兄弟子・龍皇と激しい申し合いで四股、てっぽうなどの基礎を徹底するとともに、双葉山や大鵬らの映像で研究する熱心な姿勢も糧となった。
・まわしの切り方やかいなの返し、四つ身の型、対戦相手に応じた臨機応変の戦法の妙は、頭一つ抜けていた。
・十両、幕内、三役を順調に駆け上がり、07年夏場所後に第69代横綱に昇進。
・懐が深く、スケールの大きな四つ相撲を磨き。10年初場所後に朝青龍が引退すると「1強時代」を築き上げた。
・10年には史上2位の63連勝。
・15年初場所で大鵬の32回を抜いて歴代最多優勝を更新。
・17年名古屋場所で歴代単独1位の1048勝目に到達。
・横綱在位84場所、年間最多86勝など角界の1位記録を次々塗り替えた。
・優勝45回、全勝優勝16回、通算1187勝、幕内1093勝、横綱勝利899勝、7連覇
・昭和以降の横綱で現役最後の取り組みが白星だったのは、武蔵山、双葉山、鏡里、曙に次いで5人目。
・現役最後の場所が優勝だったのは朝青龍(10年初)だけ。
・曙は00年九州場所で優勝(14勝1敗)したが、最後の場所だった翌初場所は全休。場所後に引退した。白鵬も曙と同様のケースとなった。
土俵上では、数々の問題行動を起こし、横綱の品格が問われていましたが、私は、関脇の頃から必ず横綱になると確信していました。好きなお相撲さんの一人でした。
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