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No弐-168 パラリンックを振り返って2

 今年の夏は、オリンピック・パラリンピックを通して多くのことを学ぶことができました。名残惜しいのですが、今日で取り敢えず一区切りすることにします。

 オリンピックでは、メダリストには3つの共通点を見つけましたが、パラリンピックではどうだったのでしょう?

 「早期スタート」が必ずしも有利ではなさそうです。先天性と後天性でも違います。

 「経験年数」と言う視点では、競泳の成田選手や鈴木選手、ボッチャの杉村選手、車いすテニスの国枝選手のような長年続けているレジェンドもいますが、バドミントンの梶原選手や里見選手は競技を始めてまだ4年、自転車の杉浦選手、競泳の山口選手は5年です。

 

 「家族のサポート」については、オリンピアンと違って家族は経験がないので、専門的な助言は難しいはずです。しかし、厳しくも温かい教育方針がすばらしかったですね。

 アーチェリーのマット・スタッツマン選手の家庭は、何でも一人でやらせ、手を貸す準備はしていても、じっと見守る姿勢を貫きます。

 

 今回紹介はしませんでしたが、競泳・バタフライの日向楓選手(16)は横浜市の県立旭高校の1年生。同級生37人と先生は手作りのうちわを持って応援しました。

・字を書くのもスマホの操作もすべて足でこなす。

・プリントは、首と肩で挟んで受け取る。

・着替えや持ち物を運ぶ時は友人に手伝ってもらう。

・入学前、母親は担任に「全部、自分でやらせてください」と申し出た。(読売新聞8月28日)

 

 「伴走者」と言う視点では、陸上の唐沢選手には、小林さんと言う箱根駅伝経験者の実業団のコーチがいました。米岡選手には、椿さんと言うパリを目指すトライアスロン選手がいました。道下選手には前半が青山由佳さん(35)、後半が志田淳さん(48)でした。志田さんは箱根駅伝に3年連続出場しています。30キロ過ぎに「テンメーター」と英語でしゃべり、プレッシャーをかけ、仕掛けました。

 青山さんは、1万mでインカレ出場経験もあり、相模原市のスポーツ推進課の職員で、道下選手とは6年共に走り続けています。

 選手の走力を上回らなければ、ガイドは務まらないので、自ら勤務前は朝練習、帰宅後は多い時は3時間もトレーニングをするそうです。

 「伴走のためにすべてを尽くしてきたと言い切れる」「世界で一番幸せな伴走者」(神奈川新聞9月9日)

 パラリンピアンにとっては、家族だけでなく、コーチやメンテナンスなど「周囲のサポート」の方がふさわしいかもしれませんね。「練習量の自信」これはどちらも共通していました。成田選手は、週6回、1時間半で4キロを泳ぐ日もあり、下半身が沈んで苦しいバタフライも練習に取り入れました。

 クロールの息継ぎはストローク4回に1回を5回に1回に変えました。苦手な左向きの息継ぎも加わり、再開当初は何度も気を失ったそうです。涙を流すほどの猛練習って想像つきますか?

 コーチの言葉「この猛練習に耐えられるのは成田だけ。彼女は素直で心がきれいだからやり切れる。」

 

 杉浦選手は痛め止めを打ちながら、30秒間のペダル踏み込み練習を延々と繰り返しました。

 道下選手は月間800kmも走り込むそうです。

 

 もう一つパラリンピアンには「『できない』とあきらめない心の強さ」がありました。

「不可能なことは何もない」(卓球・エジプトのイブラヒム・ハマト選手)、「できないこと?まだ見つけられてないな」(アーチェリー・米国のマット・スタッツマン選手)の言葉が忘れられません。

 よってパラリンピアンの共通点は①周囲のサポート②練習量の自信③「できない」とあきらめない心の強さだと思うのですが、いかがでしょう?

 

 香取慎吾さんが朝日新聞(9月6日)にこんなことを書いています。

「自分が変わり、社会や世界が変わる。東京パラリンピックが終わった今がその始まりです」

 いつの日かパラリンピックがなくなり、オリンピックの種目として一緒に競技し、応援する日が来ることが「共生」の一歩だと感じました。