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No弐-166 パラリンピアンから学ぶ2

 9月9日です。今日は、五節句のひとつで「重陽の節句」です。昔は、栗きんとんを食べる習慣があったそうです。

 他には語呂合わせから「救急の日」「九九の日」「手巻きずしの日」「きゅうりのキューちゃんの日」、ケンタッキーフライドチキンの創業者であるカーネル・サンダースさんの誕生日にちなんで「カーネルズ・デー」でした。

 

 今日も2人のパラリンピアンを紹介しますね。

 一人は、競泳200m自由形で7位に入賞したトルコのスメエ・ボヤジ選手です。

 8月30日(月)の朝日新聞「Why I’m here だから私はここにいる」からです。

★スメエ・ボヤジ(18)選手のエピソード「泳ぐ描く作る 自由な気持ちになれる」

・生まれつき両腕がなく、股関節が脱臼していた。

・5歳の頃、水族館で魚を見て泳ぐことに興味を抱いた。魚は腕がないのに泳げて、すごいと思った。

・母親に背中を押され、リハビリも兼ねて水泳を始め、以来はまっている。

・足を使って料理し、絵を描いたり、服をデザインしたりして過ごす。糸と針で服を縫うこともあれば、ミシンも使いこなす。

・特に秀でているのが絵だ。水彩画や墨流しへの評価が高い。19年には個展を開き、うち1枚はロシアの省庁に寄付したという。

・昨年には自身をモデルにしたバービー人形が手元に届いた。製造会社が世界で活躍する女性アスリートに贈っている。

・「同世代の女性や若い女の子たちにみんなも力があることを示したい。まだ女性・女の子だからできないという人はいると思う。でもできないことなんてない。私たちができることを見せつけてやろう」

 

 次は、陸上(車いす)100、800m二冠の英国のハナ・コックフロット選手です。

 9月5日(日)の朝日新聞「Why I’m here だから私はここにいる」からです。

★ハナ・コックロフト(29)選手のエピソード

「好きこそ道を開く まず試して」

・生まれた直後、2度の心臓発作を経験した影響で脳から足へうまく信号が伝わらなくなった。

・物心がついたころには自力で歩けないと悟った。それでも、前だけを見た。

・毎日やりたいことを変えては挑戦した。バレエやダンスを習ってみたり、バイオリンを弾いたり、合唱団にも参加した。車いすバスケットボールもやった。

・両親のおかげでもあった。兄や弟に接するのと同じように「できないことはない」と常に背中を押してくれた。

・15歳になると、心から好きと思えるものに出会えた。陸上だ。風を感じるスピード感がたまらない。味わったことがない感覚だった。レース用の車いすを借りて毎日放課後に走った。

・20歳だった2012年ロンドン大会でパラリンピック初出場。2種目で金メダル。

・16年リオ大会では3種目を制覇。

・世界選手権は計12回優勝している。

・東京大会では、陸上女子100m(脳性まひ・車いす)で世界記録を更新し、16秒39で金メダル。800mはパラリンピック記録を塗り替え、1分48秒99で2冠を達成した。

・「みんなが同じ権利を持ち、同じ機会をもらうべきだ。周りが言うことに従うだけでいると、勝手にできないことのラベルが貼られてしまう。発言する内容をきちんと学び、情熱があるならば、自信をもって声を上げてほしい」

・「何でもまずはやってみてほしい。提案されたらイエスと言おう。試していたら、いずれ好きになるもの見つかると思う。好きになることを続けていれば自信がつき、道が開ける」

 

 パラリンピアンの選手は、「できない」とあきらめません。そこからさらに挑戦をします。大きな刺激をもらいますね。