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No弐-164 パラリンピックを振り返る

 パラリンピックロスになっています。いつ話題を変えようか迷っています。

 今日は、昨日の朝日新聞の記事が印象に残っているので、紹介します。

★朝日新聞・隅田佳孝氏(東京本社社会部長)の記事から

・10代の活躍が光った五輪とは対照的に、パラリンピックでは中高年が輝きを放った。

・最終日の5日も、日本選手団最高齢で視覚障害がある西島美保子さん(66)がマラソンで8位に入賞した。終盤は両足がつり、何度も立ち止まった。それでも、きずなと呼ばれるロープの端と端を手に、腕の振りと歩幅を合わせてきた伴走者と声をかけ合って、42.195キロを走り抜いた。

 

・体をいっぱい使い、動きに工夫を凝らして、自らの可能性に挑む。そんなパラリンピアンたちの姿は、障害や世代、性別、国籍を超越した人間の「個」としての尊さを伝え、一人ひとりの違いを認め合うことの大切さを体現していた。

・眼鏡をかけている人は眼鏡をはずしたとたん、街歩きもままならなくなる。老いれば視力が衰え、足腰が弱る。私たちは誰もが地続きの世界にいる。

・「多様性」と「調和」の間にあるには、他を知り、思う想像力と対話のはずだ。

・コロナ禍で人々の孤立と社会の分断は一層深まっている。だからこそ、大会を通して突きつけられた社会の自画像から目を背けず、選手たちがまいてくれた気づきの種を育てよう。その先に大会のレガシーはある。

 このパラリンピックをきっかけに「気づきの種」を私なりに育ててみようと思います。

 

次にスポーツニッポンに連載していた乙武洋匡さんの「東京パラ 七転八起」の最終回の記事からです。

★「東京パラ 乙武洋匡 七転八起」の記事から

・13日間にわたるパラリンピックが終わった。自国開催ということもあり、これまで以上に多くの国民に支えられ、声援が送られた大会となった。

・だが、本当の勝負はこれからだ。パラスポーツが一時の盛り上がりだけに終わることなく、文化として定着していくためには解決すべき課題がいくつもある。

・まずは、「練習場所の確保」だ。かつてオリンピックは文部省、パラリンピックは厚労省と管轄が分かれていたため、パラアスリートは国の施設を使用できない状態にあった。

・スポーツ庁の創設によって両者は統合されたが、依然としてパラスポーツの練習場所を確保することには困難が伴っている。

・車いすラグビーや車いすバスケットボールは体育館で行う競技だが、いまだに「車いすの転倒で床が傷つく」「タイヤ痕が残ってしまう」といった理由で貸し出しを許可されないケースが多くある。

・視覚障がい者が行う競技では、「何かあった時に責任が取れない」と使用が許可されないケースもあるという。

 

・「費用」も悩みの種だ。板バネと呼ばれる競技用義足の価格は30万~70万円。生活に必要な義足は保険適用になるが、競技用義足は適用外。原則として自費になる。

・「ラグ車」と呼ばれる車いすラグビーの競技用車椅子は1台150万円。激しくぶつかり合うために、1年も持たない上に保険が適用されない。

 

・強化指定選手などに選ばれれば、遠征費などを含めて協会が負担してくれるようにもなるが、協会にも潤沢な資金があるわけではない。

・ぜひパラ閉幕後も興味を抱いてほしい。試合会場に足を運ぶ。オンライン配信にアクセスする。そうした動きがパラスポーツのさらなる普及につながり、練習場所や費用の課題解決にもつながっていく。

 応援していきたいです。