昨日の車いすバスケットボール決勝戦ご覧になりましたか?私たちは、道の駅で車を停め、キャーキャー言いながら応援しました。
惜しかったですね。あの第4クオーターが悔やまれますが、よく追い詰めたと思います。
京谷ヘッドコーチは「最後にタフショットを決めた米国と日本の差」と分析し、「要求する戦術を理解し実行してくれた。誇らしい12人」と称えていましたが、常に12人全員を生かそうとする姿勢は名監督の1人です。
リバウンドやしつこい守備、スピードを生かした得点力でまさに新エースに成長した鳥海選手は「リオから苦しい時間を乗り越えたからこその結果。金メダルはまだ近いとは思わない」と語っています。すごい。今後も彼の成長を見守り、応援を続けたいと思いました。
★道下美里選手のエピソード
・小4時に角膜の病気を患い、中2で右目の視力を失う。
・左目も発症し、25歳でほぼ視力を失う。調理師の夢を諦めた。
・母親の勧めで26歳で山口県の盲学校に入学。ダイエットで陸上競技を始めた。
・初マラソンに挑んだのは2008年、31歳だった。「うつむいている人生は送りたくない」
・結婚を機に09年福岡県に転居後、ランナーが多い大濠公園で走り始めた。多くの仲間に出会い、100人以上が伴走をしてくれた。
・09年には3時間26分だったのが、14年には3時間を切った。
・14年ロンドンマラソン2位、16年リオ大会では銀メダルを獲得した。
・リオ後は練習にヨガを取り入れるなどしてメンタル面を強化。加齢による衰えを克服するためのトレーニングにも力を入れた。
・17年に世界記録を樹立。20年にも2度、世界記録を打ち立てた。
・「私には障がいがあって、他にもいろいろやらかしちゃうこともあるんですけど、そういうことも含めて周りの仲間が補ってくれて、輝ける」
伴奏者にも恵まれましたよね。それはきっと人柄です。
★梶原大暉選手のエピソード
・かつては野球少年だった。小学3年で始め、中学では地元の軟式の強豪チームで投手をした。
・中学2年の夏、全国大会の前日、自転車で練習に向かう途中、トラックにはねられた。右脚を切断し、左脚にも障害が残り、車いす生活になった。
・転機は高校1年生の時、ソーシャルワーカーにパラリンピックを勧められ、バドミントンの見学に行った。「車いすに乗っているとは思えない動きの速さに衝撃を受け、自分もやってみたいと思いました」
・競技1年目で日本選手権準優勝。
・競技を始めて4年。成長の要因は、吸収力だ。
・特に伸びたのは2019年。国際大会で世界のトップ選手と対戦し、試合の中であっても相手のよいプレーをまねようとした。試合後は常に映像を見直し、修正点を探った。
この選手はレジェンドになる予感がしませんか?
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