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No弐-162  メダリストから学ぶ22

 いよいよパラリンピックも最終日ですね。今日は、これから始まる車椅子バスケットボール決勝戦が楽しみでワクワクしています。

 昨日は、ボッチャの団体戦も見事でしたが、今日は2人の金メダリストを紹介します。

 

★里見紗季奈選手のエピソード

・中学でバドミントン部に所属したが、「ただ入っていただけだった」

・高校は帰宅部。ファミレスのアルバイトが楽しくて、高校時代は「その思いでしかない」という。

・高校3年だった2016年5月に交通事故に遭い、脊髄を損傷。車いす生活となり、人生が変わった。「同情されたくない」。知り合いに会うのを恐れ、家にこもった。

 

・翌年17年に半ば強引に父親に連れられ、村山浩選手が主催する千葉市の車いすバドミントンクラブを尋ねた。

・「私も自立したい」自動車の運転免許を取り、一人で練習に出向くようになった。

・クラブでは車椅子操作を徹底的に学んだ。

・2019年の世界選手権では決勝でスジラットを破り、初めて世界一になった。 

・コロナ禍で体育館が次々と休業した昨春は、利用できる施設を2人で探し回り、村山さんントシャトルを打ち合った。

・「私が健常者の頃、想像できなかった場所にいる。これから先は車椅子になって良かったと思える人生を送りたいと思っていた。パラリンピックでの優勝は、車いすで良かったと思えることの一つになった」

 ピンチもありましたが、メンタルが強い選手なので、今後も楽しみな選手ですね。

 

★国枝慎吾選手のエピソード

・93年、9歳で脊髄腫瘍発病、車いす生活に。

・95年、母の勧めで車椅子テニスを始める。

・アテネ大会(2004)ダブルス優勝。北京大会(2008)、ロンドン大会(2012)シングルス優勝。

 

・2016年リオ大会は肘手術の影響もあり、シングルスは準々決勝敗退。

・悔し涙を流し、「すべてを見直す時期」と位置付けた。

・スイングを修正し、ラケットを変え、車いすも改良した。(高い打点から打てるように車いすの座席の高さを上げた分、操作も難しくなった)

・18年の全豪オープン、全仏オープンを制し、第一人者の地位を取り戻した。

 

・37歳になった今も、変化を恐れない。

・パワー勝負の若い海外勢に打ち勝つため、バックハンドを強化した。前へ出て勝負する攻撃的スタイルにモデルチェンジした。(昨日の試合もネット&ボレーは18本中11本と高確率で決めた)

 

・今年は全豪、全仏でも勝てず、パラリンピックまで2カ月を切った7月のウインブルドン選手権で初戦敗退した。

・「今年は結果も内容も良くない。グワッと相手を叩きつぶすんだ、みたいな気持ちが最初から最後まで持続しないとやられる」。

・磨き上げた技術面をいじる猶予は、もうない。ラケットに書いて貼っている「オレは最強だ!」を信じられるか。腹をくくった。

 

・「金メダルは99.9%信じられなかった。最後の瞬間を思い出せないぐらい興奮した。一生分泣きました。枯れました」

 あの涙の意味がよく分かりました。

・「負けるたびに何かを変えようと取り組んでいる。時には悪い意味で変わる時もあるが、回り道、寄り道しながら自分自身の正解を求めている」。

 負けから学ぶことってあります。子どもたちに伝えたいですね。