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No弐-161 メダリストから学ぶ21

  昨日も車いすバスケットボールに興奮しました。こんなに熱くなったのは、Wカップのラグビー、オリンピックのソフトボール、女子バスケットボール以来かしら? 

 3日前50歳での日本最年長金メダリストになった杉浦佳子選手は、期待通りロードレースでも金メダルでした。30秒間強い力でペダルを踏んで、少し休み、再び必死に踏む練習を延々と繰り返すんだそうです。「毎日が自己記録への挑戦」。うーん、すごい。

 

 今日は、競泳男子100mバタフライで金メダルを獲得した木村選手を紹介します。

★木村敬一選手のエピソード

・先天性の疾患により2歳で視力を失った。「見える」という記憶はない。

・盲学校の小学部から寄宿舎に入った。6歳で親元を離れた。

・小学4年から水泳を始め、中学で競技開始。

・2016年のリオ大会では優勝候補と言われたが、結果は銀が2個、銅が4個。

・海外での武者修行は木村選手をよみがえらせた。

・「日本でこれ以上、何をすればいいか分からない」と18年春に単身渡米。語学学校に通いながら練習に励んだ。

・最初は英語が話せず、コーチの指示も聞き取れない。体力の限界まで、ひたすら全力で泳いだこともあった。

・コロナ禍で帰国するまでの2年間、やり抜いた経験が再び自信を与えてくれた。

・思い通りにならない状況だったからこそ、「最善を選択できるようになった」。

・今大会は疲労を考慮し、リオで銀だった50m自由形を出場しないことを決断。

・メダルの数より、本命のバタフライでの「金」に照準を定めた。

・パラリンピック通算8個目でついに自身初の金メダルをつかみ取った。

 

・隣のレーンで泳ぎ、2位でゴールし、3つ目のメダルを獲得したと富田選手は、

「ライバルだけど、親友だし、相方と言うか相棒と言うか…。すごく大ファンでもあるし」

・木村選手の優勝を知ると、真っ先に抱きつき、自らの成果を「彼のライバルとして努力して、望んだ結果がでた」と表現した。涙は木村選手のために流した。 全力で競い合った貴重な時間は、何よりの宝物になった。

 

 次は陸上100m車いすで銀メダルを獲得した大矢選手です。

★大矢勇気選手のエピソード

・高校1年の時、ビルの解体作業中の転落事故で歩けなくなったが、「ずっとそばにおるで」と母は励ましてくれた。

・05年24歳で日常用車いすで陸上大会に出場し、100mで優勝。

・全国大会に進むと競技用車いすの選手ばかりで大差の最下位。母に頼み込み、50万円する競技用車いすを買ってもらう。

・週2、3回2人で競技場に通い、「世界を目ざして頑張れ」と励ましてくれた。

・「世界を目指せ」と願い続けた母は、ロンドン大会の代表選考会当日に死去。棄権。

・「勇気が世界を目指せるように頼むわ」と一回り離れたお兄さんに言い残し、62歳でこの世を去った。

 

・「世界」は兄弟の目標になったが、長時間車椅子で練習した影響で骨髄炎を発症。

・座骨を削る手術を受け、14年から3年近く競技ができず、前回リオ大会は出場できなかった。

・19年の世界選手権で出場権を獲得。3度目の正直で今大会に39歳で初出場。

・同種目のメダルは96年アトランタ大会以来25年ぶりの快挙。

・「本当は金メダルを取って母親に恩返ししたかったが、たぶん喜んでくれているんじゃないかな」