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No弐-159  メダリストから学ぶ20

 昨日も車いす男子バスケットボール準々決勝のオーストラリア戦の勝利に酔いました。

 今日は、ボッチャでしょうかね。ボッチャは、元々イタリア語で「ボール」を意味する単語から来ているそうです。パラリンピックでは、1988年のソウル大会より正式競技として採用されました。

 ボッチャは、ルールがカーリングと似ているので、「地上のカーリング」、「床の上のカーリング」とも呼ばれているそうです。

 日本代表チームは「火ノ玉JAPAN」の愛称で呼ばれています。

・ボールの材質はいくつかの選択肢が認められ、真っすぐ転がりやすい「天然皮革製」、相手のボールをはじきやすい「フェルト製」、ボールの上にボールを乗せやすい「人口皮革製」などがあり、選手たちは戦況によってボールを使い分けている。 

 

★杉村英孝選手のエピソード

・先天性の脳性まひで、小学1年から高校卒業時まで、静岡市の肢体不自由施設で暮らした。

・特別支援学校高等部3年の時、国際大会のビデオ映像を見てボッチャを知り、先生の勧めで競技を開始。

・施設の後輩に誘われ、初めて大会に出たのは2001年。小学生らのチームに敗れ、悔しさから競技に打ち込んだ。

・握力は10キロ以下。ボールを強くつかめず、左手の指に挟むように握る。

・腕のふり幅で強弱をつけ、繊細なショットを放つ。

・手先の器用さは幼い頃からで、精巧なプラモデルを作っては友人を驚かせた。

・先々の展開を読んで行動する。大会の前には、仲間の分も電車の時刻や乗り換えを調べ、タクシーやホテルを予約し、「旅行代理店のようだ」と感謝される。

 

・11年W杯で団体準優勝に貢献。日本選手権は12、13、15年に3回優勝。 

・12年のロンドン大会から3大会連続優勝。

・主将を務めた前回のリオ大会ではチーム初の銀メダルを獲得。ボッチャの知名度は上がり、学校を回って競技普及に努めた。

・手足のまひがある選手としては革新的だった筋トレで強化。難しい寝返り動作や両腕の上下運動を繰り返して体幹を鍛え、投球時にぶれない体を作った。

・球を投げない右手の位置を模索し、安定感を求めてボールや車いすの高さなども変えた。

・ボッチャの世界に導いてくれた仲間への思いは強い。トップ選手になっても約20年前に結成したチームの試合にも出る。決勝は右腕に地元チームのリストバンドをはめて登場。

 

・「見た方が凄いな、面白いな、格好いいなと思ってくれたら。障がいがある人もない人も関係ない。そういうきっかけが大会を通じて生まれてくれたらうれしい。この金メダルでより効果があれば」

・夢は、クラスや障がいの有無などを問わない「ボッチャ無差別級大会」の開催。

 ボッチャはもっと普及する予感がします。v