· 

No弐-157  メダリストから学ぶ18

 今、車いすバスケットボールに夢中です。リオ4位のトルコを破り、A組2位で通過しました。今日は試合がなくて寂しいです。

 

★鈴木孝幸選手のエピソード3

・34歳。自身に対する観察眼が鋭く、気持ちの切り替えがうまい。

・中学生の頃からテレビの将棋番組を見るのが好きだった。練習拠点を英国に移してからはオンラインで将棋を楽しむようになった。

・「よく羽生善治九段が言っているのは『良くも悪くも忘れることだ』。一局一局(の結果)に左右されないということかな」。これが、自らの競技人生にちょっとしたヒントを与える。

・「自分のレースでも、ちゃんと振り返りつつも一つひとつの結果に対し、あまり一喜一憂しないのは、継続してやっていく上で大事なことだと思った」

 この言葉は子どもにアドバイスできそうですね。

 

 今日は各紙、通算6度目の舞台が終わり、今大会を最後に第一線から退くことを表明している成田真由美さん(51)を取り上げていました。

★成田真由美さんのエピソード

・横断性脊髄炎で下半身が動かなくなったのは中学生の頃だった。

・「私の足はもう二度と治らない」と知ったのは17歳。

・知人に誘われて水泳を始めたのは23歳だった。「体が軽く、すごく自由に思えた」

 

・1986年アトランタ大会から4大会連続出場。

・通算20個のメダル(金メダル15個)を手にし、08年北京大会後に一度は引退したが、招致に貢献した東京大会を目標に現役復帰を決断した。

「私が泳ぐことでパラリンピックという言葉が少しでも活字になれば」

一人でも多くの障がい者が「泳いでみよう」と思うきっかけになれば。

・圧倒的な練習量で日本代表の顔として泳ぎ、加齢や故障とも闘い、東京への道は真っすぐに延びていた。

・ところが洋々と迎えるはずの大会が延期となったとき、心が揺れた。

「つらい練習をあと1年もするのか」「あと1年も泳ぐことができる」

・ギリギリのところで心をつなぎ留めたのは、競技人生を支えてくれた周囲への思いだった。

・プールが閉鎖した期間は車いすに鉄アレイを載せて隣の駅まで往復した。

・再開後は多い日で4000mの泳ぎ込み、時には涙を流すほどの猛練習だった。

 

・今大会は、100m自由形などの3種目は全て9位で予選落ち。

・この日の50m背泳ぎは予選から2秒近くタイムを縮め、自身2年ぶりの47秒台。

・47秒86は、34歳で出場し金メダルだった2004年のアテネ大会のタイムより2秒近く速かった。

・「好きで、好きで。単純に練習を積み重ねた結果」と振り返った。

 「好きで、好きで。」うーん、すごい重みのある言葉ですね。