· 

No弐-154  メダリストから学ぶ15

 遅くなりました。車椅子ラグビーと車いすバスケットボールを同時に見ていました。ラグビーは残念でしたが、バスケットボールの逆転勝利に興奮しました。

 昨日の陸上男子400m金メダルの佐藤選手のラスト10mの劇的な逆転にも感動しました。

 

★佐藤友折選手のエピソード

・元国体選手の父の影響で、幼い頃にレスリングを経験。

・10年に脊髄炎が原因で車いす生活となる。

・テレビで12年ロンドン大会を観戦し、衝撃を受けた。「社会的弱者と思っていた人が国を代表して走っている」。これがパラアスリートとしての原点になった。

・16年リオ大会は1500m、5000mで銀メダル。

・「18年に世界記録を出した時の自分がライバル」。リオ大会後、両種目で世界記録を出しても満足させてくれなかった。

・所属先をやめて、今年2月、プロ転向に踏み切った。

・競技に集中するために退路を断ち、パーソナルコーチを迎えて自らを鍛え上げた。 

・55秒39。自身の世界記録55秒13まで0秒26届かなかった。

 

★唐沢剣也選手のエピソード

・先天性の網膜剥離が進行し、10歳で視力を失った。

・中学、高校は陸上部だったが、陸上を本格的に始めたのは5年ほど前で、働きながら走る市民ランナーとして出発した。

・点字図書館でフルタイムで働きながら毎日、早朝と勤務後の4時間を練習に充てた。

・2019年世界選手権銅メダルでパラへの道筋がはっきりと見えた。

・4月に地元群馬県の実業団チーム「スバル」に協力を依頼。チームの元選手でコーチを務める小林光二さんを伴走車として迎え入ることができた。

・小林さんは大学時代に箱根駅伝を走ったこともあり、身長やピッチが唐沢さんと近く、走りの愛称は抜群。

・「私は唐沢さんの目であり頭脳」集団での駆け引きに優れたトップランナーの経験を持つ小林さんと組むことで走りに戦略性が増し、5月には世界記録を出した。

・4000m付近で伴走車は茂木洋晃さんに後退。茂木さんは大学時代から唐沢さんを後押ししてきたボランティアメンバーだ。実家のトマト農園で働きながら伴走者を務める。

 

 2人とも次の1500mが楽しみですね。