いよいよ今日は、パラリンピックの開会式ですね。
・約160の国・地域から史上最多の約4400人の選手が参加。22競技539種目で競い合う。まず、今日のパラリンピックの広告に注目しました。
★8月24日、はじまりの日
どうすれば人は、困難と共に生きていけるだろう。
どうすれば私たちは、違いを力に変えていけるだろう。
東京2020パラリンピック、いくつもの答えがこの舞台に集う。
この12日間はきっと、私たちすべての明日につながっている。
世界がまだ知らない 私たちの新しい強さを、ここから。
私もこの12日間で新しい強さを発見し、学びたいと思います。
今日の日本経済新聞の記事からです。
★パラリンピックはいつ始まったのか
・パラリンピックは1948年7月29日、戦傷による脊髄損傷者の治療をしていた英国ストーク・マンデビル病院で行われた、障害者によるアーチェリー大会に源を発する。
・ルードウィヒ・グッドマン医師が、わざとロンドン五輪の開会式にぶつけ、スポーツによるリハビリの有効性を訴えた。
・これ以降毎年、同病で障害者のスポーツ大会が行われるようになり、52年にはオランダの選手も参加し、第1回国際ストーク・マンデビル大会(ISMG)に発展した。
・ISMGが五輪後にその開催都市で初めて開かれたのは60年ローマ大会だ。これが後に第1回パラリンピックとされる。
・64年東京五輪後に東京で開かれたISMGが第2回のパラリンピックだ。
21カ国から378選手が参加。協議は、陸上、水泳、アーチェリー、車いすバスケットボールなどわずか9つだった。
・参加できる障害も当初は脊髄損傷などによる車いす選手だけに限られていた。
・夏季パラリンピックを2回開くのは東京が史上初めてという記念すべき大会となる。
★パラリンピックに込められた意味とは
・「パラリンピック」という言葉が使われたのは、前回の東京が初めてだった。
・これは「パラプレジア(下半身のまひ)」と「オリンピック」を合わせた造語で、東京大会の愛称として付けられた。
・大会の正式名として、「オリンピック」の名称を管理する国際リンピック委員会(IOC)も認めた「パラリンピック」が使われるようになるのは88年ソウル大会からである。
・この時から「パラレル(並行した)」な「オリンピック」と言う意味になった。
★パラリンピックが持つ意味とは
・「オリンピックムーブメント」はもともと平和運動に対し、「パラリンピックムーブメント」は社会変革運動と言える。
・障害を持つアスリートが、様々な工夫をしてスポーツに取り組む姿を通じ、誰もが持つ多様な個性を認め、それぞれが社会で力を発揮できる共生社会の創造につなげる。
・開催都市では施設のバリアフリー化が進む効用もある。
・国際パラリンピック委員会(IPC)は、パラリンピックに4つの価値があるとしている。
①壁を乗り越えようとする「勇気」
②限界を突破しようとする「強い意志」
③人を行動に駆り立てる「インスピレーション」
④工夫をすれば誰もが同じ地平に立てることに気付かせる「公平」
最後にもう一つ、大日本印刷(DNP)の広告を紹介します。
歓声が上がった。その時、病院の庭は競技場になった。-パラリンピックの原点
★イノベーションは、このようにして始まる
ある日、医師ルードウィッヒ・グッドマン博士は、入院している障がい者たちが杖を使ってホッケーに夢中になっている姿に出くわしました。その時、博士はこう考えましたー
「障がい者にとって必要なのは、保護ではなく、スポーツなのではないか」
第二次大戦が終わってまもなくの、ロンドン郊外にあるストーク・マンデヴィル病院でのことです。
その後、この病院の庭で、ひっそりと競技会が開かれるようになりました。最初は16人から始まりましたが、回を重ねるごとに参加者は増え、写真は1953年の陸上競技やり投の様子です。
この病院の庭で行われた小さな競技会こそ、障がい者への見方を「保護すべき人」から「自分で人生を切り拓く人」に変換させたイノベーションなのです。それは今日へと繋がり、パラリンピックと呼ばれています。
イノベーションは、結果として華やかなものになりますが、最初は、気づかれないほど静かな始まりをします。実は、今、DNPの中でも、いくつものイノベーションの卵が静かに躍動し始めています。
*イノベーションとは、革新、または新機軸を打ち出すこと。
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