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No弐-131  メダリストから学ぶ9

 昨日一番印象に残った競技は、女子バスケットボールの準決勝でした。残り15秒の逆転で初の4強になりました。劇的でした。

・逆転できる自信の根拠は、ホーバス監督が「世界一」と言うほどの練習量。

・体力的にきつくなる終盤に入ってから守備の強度を上げた。相手のシュートを抑え、着実に点差を詰めていったことが最後の逆転劇につながった。

 このチームは、きっとメダルが取れると信じます。

 

 人では、スケートボードの岡本碧優選手です。さすが世界ランク1位だけあって、技のスケールが大きく、美しいと思いました。残念ながら勝負に出た大技が決まらず、結果は4位でした。あえて無難を選ばず、頂点を目指し、挑戦した姿はすがすがしく、今後も応援し続けたい選手になりました。

 

★四十住さくら選手のエピソード

・13歳上の兄の影響で小6で始める。「やるならプロになるぐらいのつもりでやらないとダメ」。母親は中途半端を許さなかった。

・一日も怠ることなく朝6時台に起きて、ハードな練習をこなし、急激に腕を上げていく。

・朝起きたらipadでスケボーの動画を見て、練習に行きたがる。

・週末は母親の運転で往復5時間かかる三重のパークまで2日車中泊で練習しに行った。

・中1で初めて出た大会で2位になって悔しがる姿をみて、両親も応援するようになった。

・「日本一になる」と誓う娘のため、百数十万円を掛けて、庭に小さな練習場を作った。

・大会に出られるようになってからは、平日も学校終わりに毎日往復3時間の神戸パークまで向かった。帰宅は朝0~1時。それでも朝は寝坊することなく起き、365日練習した。

・自宅近くに完成した専用練習場では、多い時は1日10時間ほど練習した。

・17年米国の大会に初出場。3位入賞。賞金3000ドル獲得。

・18年世界選手権初代女王。アジア・ジャカルタ大会優勝。Xゲーム銅メダル。

19年世界選手権2位。

・「夢にスケートボードが出てこない日はない」

・「540」は20年3月に成功し、今年5月の試合でものにした。

 

★開心那選手のエピソード

・現在中1。名前の由来はココナツ。南国好きの母が付けた。

・5歳の時、サーフィンをしていた父に教わり、自宅駐車場でスケボーを始めた。

・「1年のうち、360日は練習している」

・10歳で2019年日本選手権を制し、Xゲームで準優勝。 

・「ノーズグラインド」という技は小3で習得。

・1年前は出場圏外。5月の国際大会で5位に入り、逆転で五輪の切符をつかむ。

・12歳343日のメダリストは世界7位。

 最年少は、アテネ大会(1986)の体操男子平行棒団体銅のメンバーのディミトリオス・ロウンドラス選手(ギリシャ)の10歳218日

 最年少金メダルは、ベルリン大会(1936)の女子板飛び込みのマ―ジョリー・ゲストリング(米国)の13歳268日。西矢さん、惜しかったですね。

 

★川井友香子選手のエピソード

・3姉妹の真ん中で、レスリングを始めたのは妹よりも遅かった。

・姉と妹が元世界選手権代表の母親の指導を受ける傍ら、マットの片隅で遊んでいたが、構ってもらえなくなり、寂しさから「やる」と言い出した。

・シニアの世界大会での優勝は一度もなかった。18年世界選手権銀メダル。19年3位で代表内定。

・東京五輪出場を目指すと決めた18年に2人で階級を相談。姉が考え、姉が制した階級に挑戦することにした。この時は体重59キロ台。栄養士と相談して1日6食。

・走り込みを中心に下半身を鍛えてきたが、ウエイトトレーニングも導入し、みっちりと強化。今では体重が64キロになり、試合前に絞って仕上げるまでになった。

 ぜひ姉妹の金メダルを期待しましょう。