昨日一番印象に残った競技は、女子バスケットボールの準決勝でした。残り15秒の逆転で初の4強になりました。劇的でした。
・逆転できる自信の根拠は、ホーバス監督が「世界一」と言うほどの練習量。
・体力的にきつくなる終盤に入ってから守備の強度を上げた。相手のシュートを抑え、着実に点差を詰めていったことが最後の逆転劇につながった。
このチームは、きっとメダルが取れると信じます。
人では、スケートボードの岡本碧優選手です。さすが世界ランク1位だけあって、技のスケールが大きく、美しいと思いました。残念ながら勝負に出た大技が決まらず、結果は4位でした。あえて無難を選ばず、頂点を目指し、挑戦した姿はすがすがしく、今後も応援し続けたい選手になりました。
★四十住さくら選手のエピソード
・13歳上の兄の影響で小6で始める。「やるならプロになるぐらいのつもりでやらないとダメ」。母親は中途半端を許さなかった。
・一日も怠ることなく朝6時台に起きて、ハードな練習をこなし、急激に腕を上げていく。
・朝起きたらipadでスケボーの動画を見て、練習に行きたがる。
・週末は母親の運転で往復5時間かかる三重のパークまで2日車中泊で練習しに行った。
・中1で初めて出た大会で2位になって悔しがる姿をみて、両親も応援するようになった。
・「日本一になる」と誓う娘のため、百数十万円を掛けて、庭に小さな練習場を作った。
・大会に出られるようになってからは、平日も学校終わりに毎日往復3時間の神戸パークまで向かった。帰宅は朝0~1時。それでも朝は寝坊することなく起き、365日練習した。
・自宅近くに完成した専用練習場では、多い時は1日10時間ほど練習した。
・17年米国の大会に初出場。3位入賞。賞金3000ドル獲得。
・18年世界選手権初代女王。アジア・ジャカルタ大会優勝。Xゲーム銅メダル。
19年世界選手権2位。
・「夢にスケートボードが出てこない日はない」
・「540」は20年3月に成功し、今年5月の試合でものにした。
★開心那選手のエピソード
・現在中1。名前の由来はココナツ。南国好きの母が付けた。
・5歳の時、サーフィンをしていた父に教わり、自宅駐車場でスケボーを始めた。
・「1年のうち、360日は練習している」
・10歳で2019年日本選手権を制し、Xゲームで準優勝。
・「ノーズグラインド」という技は小3で習得。
・1年前は出場圏外。5月の国際大会で5位に入り、逆転で五輪の切符をつかむ。
・12歳343日のメダリストは世界7位。
最年少は、アテネ大会(1986)の体操男子平行棒団体銅のメンバーのディミトリオス・ロウンドラス選手(ギリシャ)の10歳218日
最年少金メダルは、ベルリン大会(1936)の女子板飛び込みのマ―ジョリー・ゲストリング(米国)の13歳268日。西矢さん、惜しかったですね。
★川井友香子選手のエピソード
・3姉妹の真ん中で、レスリングを始めたのは妹よりも遅かった。
・姉と妹が元世界選手権代表の母親の指導を受ける傍ら、マットの片隅で遊んでいたが、構ってもらえなくなり、寂しさから「やる」と言い出した。
・シニアの世界大会での優勝は一度もなかった。18年世界選手権銀メダル。19年3位で代表内定。
・東京五輪出場を目指すと決めた18年に2人で階級を相談。姉が考え、姉が制した階級に挑戦することにした。この時は体重59キロ台。栄養士と相談して1日6食。
・走り込みを中心に下半身を鍛えてきたが、ウエイトトレーニングも導入し、みっちりと強化。今では体重が64キロになり、試合前に絞って仕上げるまでになった。
ぜひ姉妹の金メダルを期待しましょう。
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