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No弐-127  メダリストから学ぶ7

 8月1日を迎えました。調べてみると、1年に中で最も水の使用量が増えるのは8月であることから「水の日」

 8月くらいから洗濯物の量や回数が増えてくることから「洗濯機の日」

 1848年8月1日の花火解禁、19955年8月1日の墨田区の花火爆発事故、大阪の    

 世界一の花火大会開催を記念して「花火の日」

 1958年8月1日帝国ホテルでインペリアルバイキングがオープンしたことから「バイキングの日」

 世界牛乳の日(6月1日)とコーヒーの日(10月1日)の間を取って「カフェオーレの日」

 語呂合わせでは、パ(8)イ(1)ンで「パインの日」、ぱ(8)い(1)牌で「麻雀の日」などがありました。

 

 昨日の東京の感染者数は4058人。7月15日の時点では、1308人の感染で五輪後8月11日は2406人になるという衝撃試算が出されていましたが、今では予想をはるかに上回っているのが心配ですね。

 

 オリンピックも昨日の柔道団体と女子バレーボールは悔しい敗戦となりました。今日は、メダリストの指導者に視点を当てようと思います。2000年シドニーオリンピックの柔道100㎏級の金メダリストの井上康生監督です。

 

★井上康生監督のエピソード

・周囲への気遣いは、若い頃からだ。バーベキューをした際、仲間のために肉を焼き続ける姿があった。「強いだけでなく、先輩にも後輩にも慕われていた」

・シドニー五輪金の後、04年アテネ五輪は準々決勝敗退、08年北京五輪は代表落ちを経験した。「成功はごく一部。失敗と挫折の連続」と自覚する。

・12年1月に男子チームの監督に就任。34歳だった。当時の斉藤仁・強化委員長(故人)が「柔道界を立て直せる人材」と大役に起用。史上初の優勝者なしに終わったロンドン大会の惨敗を受け、「お家芸」の再建を託された。

・「昨日まで元気だった大切な人を、いつ亡くすか分からない。一日一日を全力で生きてほしい」。金メダルを取ったシドニー五輪の前年、最愛の母が51歳で急逝。05年には3兄弟の一番上の兄も32歳で亡くしている。

 

・自分が頂点に立つという「熱意」、逆風が吹いた時の「創意」、周囲の支えに感謝する「誠意」の3つの言葉を指導の軸に掲げる。選手やコーチ、裏方とも熱意を持って誠実に接する。

・最愛の母から伝えられた言葉が「初心」だ。選手時代に不振に陥っていた井上監督に宛てた手紙には「初心を忘れずやりなさい」と書かれていたという。指導者として迷いが生じた時、思うような結果が残せなかった時、常に立ち返るのがこの言葉だった。

 

・指揮官として青臭いと言われても、選手との密接な関係は崩さなかった。

・選手が練習で遅刻を繰り返すと、一緒に頭を丸めた。

・ともに稽古し、試合で負けた時には手紙を書いて励ました。

・昨年2月、五輪代表内定発表会見では、落選した選手のことを思い、つい涙を流した。

・道を極めるプラスになればと、選手たちに陶芸、茶道、書道などにも触れさせた。

・五輪で金メダルラッシュになっても、選手に寄り添う姿勢は変わらなかった。負けた選手に対しても「すべてを掛けて戦ってきたと思う。勝たせてあげたかった。しっかり(課題を)埋めてあげられなかった私たちの責任。申し訳ない」

 

・「井上監督ほど選手のことを強く思い、柔道に対して情熱を持っている指導者はいないと思います。実績のある選手は自分の経験論に固執する人が多い中、井上監督は違います。根性論や精神論に偏ることなく、科学的なトレーニングを積極的に取り入れ、他の格闘技を参考にするなど柔軟な発想で指導改革をしてきました。選手が自主練している場所まで足を運び、コミュニケーションを欠かさないなど気配りの人です。」(テレビ関係者)

・「井上監督は選手と常に向きあってきた。だから、みんなが『井上監督のために』って慕うんです。」(鈴木桂治コーチ)

 いかがですか?井上監督は現役時代からの大ファンです。みんなこんな管理職ならついていくのにね。同じ指導者として井上監督を見習い、手本にしていきませんか?