昨日は、フェンシングの決勝を見て、面白さが伝わりました。柔道も9個目の金メダルだそうですが、強いですね。強さの裏には、どの選手もものすごい努力をしていて、それが実るから感動的です。団体戦も応援してます。
★フェンシングのエピソード
・フェンシングは全身を攻撃できるエペ、胴体だけを攻撃できるフルーレ、上半身だけ攻撃できて、「突き」だけでなく「斬る」のも有効なサーブルの3種目がある。
・フェンシングは昭和初期、欧州留学の帰国者が伝えた。この時の種目は「フルーレ」。技術勝負だから小柄でも勝てる。
・エペは突く場所に制限がなく、腕の長さなど体格に左右される面もあり、日本では敬遠されがちだった。
・太田雄貴の2008年北京五輪の男子フルーレ個人銀を契機に、一層の競技普及が始まった。
・2012年ロンドンの団体でも銀メダルを獲得した種目はフルーレ。
・高校総体でも団体があるのはフルーレだけ。
・エペは、本場の欧州で最も競技人口が多く「キング・オブ・フェンシング」と呼ばれる。
・どこを攻撃しても、突けば点が入ルールの明快さが魅力。
・エペは、ワールドカップなど国際大会の参加選手はフルーレの2倍ほどになる。
・太田さんも競技人口を増やすためにはエペの普及がカギと考えていた。
・10年以上の「エペ」の強化が実った。2010年に実績のあるウクライナ人のコーチを招いた。同時に有望な若手の適性を見極めたところ、フルーレよりも腕が長く、動きが俊敏なエペに向いている選手もいた。
日本のフェンシング人気が確実に高まりますね。楽しみです。
★曽根輝選手のエピソード
・常に胸にあるのは、厳しい指導を受けてきた父親から授けられた「3倍努力」(昭和最強と言われた柔道家・木村政彦)の言葉。稽古やトレーニング量は人の3倍。
・「3倍じゃなく、5、6倍。親から見てもこいつはすごい。化けもんやなって思うほど」(父親)
・柔道経験のある父親、3人の兄の影響で、小学1年の時、道場に通い始めた。
・初めての試合は、自分より小さな女の子に判定負け。その後は、小学6年間の約100試合で負けたのは5試合だけ。
・父親は、小学2の時、自宅近くの倉庫を借り、約50畳を敷いた練習場を作った。
・道場以外に毎日1~3時間、練習場で過ごした。
・2歳年上の兄をおぶって倉庫を5周し、ロープを使って打ち込みを繰り返した。
・中学2、3年で全国大会を連覇。
・高校時代も常に男子部員と稽古。体力の限界まで追い込み、夏には何度か熱中症になった。
・高2で迎えた17年の金鷲旗大会。決勝では5人抜きして初優勝。
・環太平洋大に進学も女子柔道部しかなく、環境が整わず自主退学。
・世界選手権覇者になっても「自分は弱い」と考え、自己分析を欠かさず、大会を終えるごとに弱点を克服する。
・ 女子3人目の3冠(皇后杯・世界選手権・五輪)を達成した。
・「練習は裏切らない」「寝ているときが幸せ」「言葉に出来ないくらいきつい稽古をしてきたが、そこで土台ができた。」
21歳、もっと強くなるでしょうね。今日の団体戦も負けないでしょう。楽しみな子です。
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