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No弐-125  メダリストから学ぶ5

 昨日はうれしい雄叫びより、悔しいため息の方が勝っていました。卓球の伊藤選手の初の銅メダルも見事でしたが、どうすれば中国の壁を越えることができるんでしょうね?

 注目していたバドミントンの混合ダブルスの初の銅メダルも見事でしたが、優勝候補のシングルス、ダブルスの思わぬ敗戦に呆然としてしまいました。奥原さんの「最後まで楽しむことは難しい舞台だと改めて感じた」という言葉が印象に残ります。山口さん応援してます。

 

★ウルフ・アロン選手のエピソード

・父が米国人、母が日本人。東京の下町、葛飾区新小岩で生まれ、英語は話せない。

・母方の祖父に勧められ、6歳で柔道を始めた。

・小学校卒業時の体重は86キロに達した。

・年下の選手に負けた中2の時から、毎朝自宅と建設中のスカイツリーの往復10キロを走った。電気が消えた道場に後輩と忍び込み、階段の明かりの中で黙々と投げ込みを続けた。

・同じ失敗を繰り返さないのがウルフの良さだ。歴史の本を読み、失敗から教訓を学ぶ。

・17年世界王者になるが、18年に左膝を負傷、19年年末には右膝を手術。コロナ禍で五輪が1年延期になる中、リハビリと稽古に取り組んだ。

・前日に両ひざに痛み止めの注射を打っていた。

・「研究が3割、対応力が7割」持ち前のパワーに加え、戦略と状況判断の巧みさがある。

・「私が現役の時と比較しても、これほどに緻密に、これほど努力を重ねた選手はいない」(井上監督)

・男子8人目の柔道3冠(五輪・世界選手権・全日本選手権)を達成した。

 

★浜田尚里選手のエピソード

・「何でもいいから習い事をしてみたい」鹿児島県霧島市の自衛隊の柔道教室に通い始めたのは10歳の時。不器用で他の子より技の習得に時間がかかったが、人一倍柔道が好きだった。

・高校では7時の朝練1時間前に道場に行き、「寝業の神様」柏崎克彦氏の技術書や映像教材を見て、研究した。

・山梨学院大までは無名の存在だったが、その頃から寝技の才能が少しずつ開花し始めた。

・もともと短距離も得意で50mは6秒7の俊足。

・柔道に役立てようと大学時代にロシアの格闘技「サンボ」が幅を広げた。2014年サンボ世界選手権優勝。

・練習でも試合さながらに激しく足技を繰り出す。出稽古先から「もう来ないで」と言われ、外国のコーチから「ノーキック」と注意を受けたこともある。

・28歳の誕生日だった2018年に世界選手権で初優勝し、「浜田=寝技」が世界に広まった。

・関節技や絞め技などバリエーションも多い。

・試合会場には、おにぎりを5個用意して向かう。

・口下手で細かいことは気にしない、笑みを絶やさない。

・柔道教室で教えている小学生からは「優しくてかわいい」と愛され、「はまちゃん」と呼ばれている。

 

★伊藤美誠選手を支える松崎太佑(37)コーチのエピソード

・静岡県磐田市の豊田町スポーツ少年団で伊藤選手を指導していた。

・伊藤選手が中学入学時に大阪に拠点を映す際、専属コーチに依頼された。

・地元で会社員をしており迷ったが、「トップ選手を指導する機会なんて、そうそうない」とついていくことを決断した。

・情報分析は徹底し、練習、試合、相手と分類し記したノートは100冊を超える。

・準備で睡眠時間が約1時間になることもざらだった。

・「これだけ、他のためにできる人っていないと思う。勝ちを見せてゆっくりさせてあげたい」(伊藤選手)