やはり昨日は男子体操個人総合でしょうか?橋本選手は、「体操選手としては大柄な1m66で手足が長く、他選手と同じ技でも見栄えがする」(読売) その通りだと思いました。最後の平行棒、鉄棒は大逆転のドラマが出来上がっていましたね。すごい!
競泳の大橋選手は、「金の自信が気持ちに余裕につながり、体の硬さが誰よりも少なかったことが粘りきれた要因だった。昔からラストの勝負にはめっぽう強く15m手前ぐらいからどっちの手でタッチしたら速いのかが感覚的にわかる」(読売) 私はレース前から金を確信していました。自信と言うのはすごい!「
柔道の新井選手は、16分41秒の準決勝。「相手は驚異的な柔軟性の持ち主だった。何度も寝技で抑え込もうとしても、タコのようにするりと逃げた」(読売) 決勝は疲労がかなり残っていたはずですが、精神的な課題なんて見事に克服していましたね。すごい!
★橋本大輝選手のエピソード
・8月7日に20歳に誕生日を迎える。「夏に大きく輝く」との願いを込めてつけられた。
・6歳の時、2人の兄の影響で地域の体操クラブに通い始めた。
・3兄弟の末っ子。両親は兄弟げんかを止めなかった。「勝負の世界は厳しい。けんかに負けたら従わなければならない。」と言う教えの中で磨かれた負けず嫌いの心。強いものを見れば見るほど燃え上がる。
・練習場所は廃校の体育館で、設備も十分整っておらず、難しくて危険な技に挑戦させてもらえない。徹底的に倒立、あん馬の旋回など基本技術を叩き込まれた。
・小学校高学年から、国内外の競技映像を見て研究するようになった。
・初めてテレビで見た2013年の世界選手権は録画し、全選手の得点やアナウンサーの実況を覚えるほど見返した。
・高校では休まずメニューをこなし、他の選手と同じ時間で2倍のトレーニングをする。
・高校の監督が「無限くん」と呼んだスタミナは、小学校からの走り込みと、祖父母の田植えや収穫を手伝ってつけた。
・「あきれるぐらいの負けず嫌い。できない技があると成功するまで帰らない。こっちはずっと待たされた」(市立船橋高校総監督)
★新井千鶴選手のエピソード
・「とにかく真面目で努力家。練習をやり過ぎるので止めていた」(高校恩師) 成績はオール5。
・2011年3月の初めての全国大会出場は東日本大震災で中止。
・15年の世界選手権では、女子9選手で唯一メダルを逃した。
・5年前のリオ五輪では代表候補1番手で臨んだ国内最終選考会は決勝で敗れた。
・17、18の世界選を2連覇したが、その後は世界からマークされて苦しんだ。
・コロナ禍で1年延期となったが、震災時の母の言葉を思い出し、心は切らさなかった。「苦しんでいる人がいる中、柔道ができ、目標がある生活を当たり前と思ってはいけない」
「やり切れずに後悔するなら、出し切って終わる方がいい」
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