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No弐-123  メダリストから学ぶ3

 昨日は、やはり女子ソフトボールの13年ぶりの金メダルでしょうか?連日の雄叫びです。

 「勝つ喜び、ソフトボールの楽しさ、人と結ぶ絆の意味。全てを教えてくれた母親のような存在に、39歳になった孝行娘が金色に輝く最高のプレゼントを贈った」(読売)

2人が抱き合う姿は、何度見ても目頭が熱くなります。人柄がにじむ素晴らしい監督でした。上野さんもきっといい指導者になるでしょう。

 ソフトボールは全試合観て応援しましたが、私が選んだMVPは渥美選手です。あのヘッドスライディング、守備での奇跡の併殺プレイは忘れられません。

 

★永瀬貴規選手のエピソード

・緊張でガチガチになったリオ五輪は、実力の半分も出せなかった。その後、井上監督の勧めで、ドイツやオーストリアへ単身武者修行。

・リオ五輪の後、日本男子の金丸コーチから「読書をしろ」と勧められた。金丸コーチは「彼には言葉が足りない。言葉がなければ、課題を的確に分析できない」とみた。

・2017年の世界選手権で右膝に大けがを負った永瀬は、むさぼるように本を読んだ。スポーツ選手の自伝や指導書の教本、小説、睡眠に関する学術書、何でも手に取った。

・懸命の治療とリハビリで1年後には実戦復帰したが、刈り足の本来の動きはすぐに取り戻せず、連戦連敗が続いた。恩師に電話で「もうやめたい」と漏らした。

・何度も折れそうな心を奮い立たせたのはリオ五輪での悔しい記憶。

・東京五輪の代表に決まり、リオ五輪の敗因を整理した。「ひたすら突っ走るだけだった。これでいいだろうと甘く考えていた」

・金メダリストとなり、勝因を「僕の長所は気持ちで折れずに最後まで攻め抜く姿勢。それが出せてよかった」

 苦労が報われてよかったですね。

 

★五十嵐カノア選手のエピソード

・「カノア」はハワイの言葉で「自由」を意味する。現地に子どもたちに交じってサーフィンができるようにと名付けられた。

・初めて波に乗ったのはハワイだった。3歳の誕生日に6フィート(約183㎝)の750ドルの黄色のサーフボードを買ってもらい、1回目から転ばずに立ち続けた。

・8歳から豪州やハワイ、世界の各地の波を求めて転戦。

・父親と共に地元のサーフショップを回り、コンテストの情報が載っているチラシを集めた。

・良い波の場所を知るために友達に話しかけ、5か国語(日本語、英語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語)を話すようになった。

・9歳で米国アマチュアチームの強化選手に選出。

・12歳で全米アマチュア連盟協会主催試合で30勝を挙げ、最多優勝を塗り替える。

・13歳でプロ転向。

・16年からチャンピオンシップに参戦し、19年5月の第3戦で日本人初優勝。

・17年に日本代表として戦うことを選んだ。

・NHK の子ども向け番組や演芸番組「笑点」を見て育ち、遠征先には今も真空パック入りの「切り餅」を持参し、力をつけている。

・小さい頃から陸上のウサイン・ボルトの本を読み、マイケル・フェルプスのレースをかじりついて見た。

・世界トップの海外勢に勝つためにジムに通い、体重を7キロ近く増やした。

・波が小さい釣ヶ崎海岸に合わせるため、板を12本用意。

・「サーフィンを一番人気のスポーツにしたい。子どもたちのために海をきれいにしたい。それがモチベーション」

 サーフィン人気は一気に高まりましたね。スーパースターの登場です。