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No弐-121  メダリストから学ぶ

 こんなにテレビを観たことあったかしら?オリンピックに夢中になっています。

 このオリンピックから、メダリストから、支える人たちから学ぶことはきっとあるはずです。情報を伝えることで、教材を作るヒントになれば幸いです。

 今日は、昨日の金メダリストの4人のエピソードを紹介します。

 

★堀米雄斗選手のエピソード

・スケートボードをしているタクシー運転手の父に連れられ、物心つく前から公園でスケボーに乗っていた。

・お父さんは休みなく働き、運転手仲間から洗車を請け負って遠征費を稼いだ。

・「やるなら海外じゃないと駄目だ」「(海外のトップ選手は)1億円を稼いでいるらしい」と高い意識を植え付けられた。

・「海外選手の映像を観て研究するのは良いが、まねをしている限り勝てい。」という父の指導を大切にしている。

 

・6歳(小学1年)で本格的に始め、ほぼ毎日3~4時間練習した。

・約2年間は試合とは無縁。小学校卒業まではバーチカルランプと呼ばれる半円状の斜面を滑る練習のみ。目的はストリートに必要な脚力と、エアに対する恐怖心の克服。

・当時から一月に靴を2、3足はきつぶし、板を3枚新調。

 

・2016年、高校卒業後、17歳で米国に拠点を移すと、プロリーグで優勝を重ねた。

・世界最高峰プロツアーの「ストリートリーグ」で2018年に日本勢初優勝を含む3戦3勝。

・2019年トッププロが集まるXゲーム初制覇。世界選手権19年2位、21年優勝。 

・米でトップ選手になり、計12社とスポンサーと契約。

・昨秋には、ロサンゼルスに練習場付き4LDKの家(約1億円)を購入し、「アメリカン・ドリーム」を実現した。

 

・演技は、「エフォートレス(力みがない)」と評され、高難度の技を軽々とやってのける姿が人気を呼んでいる。

・スケートボードの魅力は「終わりがないところ」。

 

★阿部一二三選手のエピソード

・幼稚園の時、テレビで見て「格好いい」と柔道を始めた。

・体が小さく、6歳で柔道を始めてからも勝てなかった。最初は体の大きな小学生が怖くて泣いてばかり。

・小3の時に女の子に負けたことをきっかけに消防士として体を鍛える父親とトレーニングを開始した。約束したのは「毎日続けること」。

・自宅から道場までの3キロの道のりを走って通った。

 

・座右の銘は「努力は天才を超える」

・緻密で、綿密な準備を欠かせない。

・柔道着は絶対に他人に触らせず、自分で洗い、干し、たたむ。

・相手を強引に担ぎ投げる攻撃一辺倒の柔道は、2017年、18年の世界選手権を連覇した後、壁にぶつかった。活路を見出したのが足技の技術。

・付き人を務めたのは日体大同期の片倉さん。大学時代ともに故障を抱え、トレーニングルームで意気投合。食事、外出と私生活も一緒。練習パートナーとして互いの試合に同行。卒業後も変わらず支えた。出会って以来、けんかしたことは一度もない。

 

★阿部詩選手のエピソード

・兄の稽古について行き、道場で遊ぶこと大好きで、その延長で5歳で柔道を始めた。

・幼少期から「カードで負けてけんかになる。しすぎて(回数)分からないくらい」と言うほど負けず嫌い。

・技を覚えるのは兄よりも早く、教えられなくても見よう見まねでできるようになった。

・中学生になって結果を出し始めた兄に感化され、真剣に練習に励むようになった。

・中学2年の全国大会は決勝で敗退。その1年後、全国制覇。

 

・阿部兄弟がシニアの大会に同時出場するのは16年の講道館杯を皮切りに東京5輪が10度目。今回が4度目の快挙。

・コロナ禍で畳の上での稽古が出来なくなった昨春は、2人でランニングやトレーニングする機会が劇的に増えていった。

 

★大橋悠依選手のエピソード

・高校時代は目立った成績はなく「ボランティアやトレーナーなど何らかの形で関わりたい」と考えていた。

・東洋大進学後も左膝脱臼や極度の貧血に悩み、15年日本選手権の200m個人メドレーは最下位の40位。

・その後も体は思うように動かず、記録が伸びない。

・「もう無理です。水泳をやめます」と平井監督に伝えるが慰留され、引退を踏みとどまる。

・投薬治療や食生活改善で貧血を克服すると、練習量が一気に増え、飛躍的に記録が伸びた。

 

・17年に初めて代表入りし、世界選手権の200m個人メドレーリレーで銀。日本女子のエース格となった。

・本番を想定した6月下旬のレースで記録が低迷。心が折れ、平井コーチに「五輪に出たくない」と漏らした。

・開幕直前に信頼を置くトレーナーによる体のメンテナンスを受けると、調子が一気に上がった。