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No弐-116  上野選手から学ぶ

 いよいよ今日は、東京五輪の全競技に先駆けてソフトボールの試合がありましたね。朝からテレビに釘付けになって、応援しました。愛国心が高まってきました。

 オーストラリアと対戦し、8-1で5回コールド勝ちに喜び、いつものように新聞を読みに行くと、タイムリーなことに読売新聞にこんな記事がありました。

 「ソフト少女に勇気の色紙 上野選手から激励 病を克服」

 

 「ソフトボール日本代表のエース上野由岐子選手の活躍を強く願う女子高生がいる。福岡県那珂川市の持原南さん(17)。約3年前に白血病を発症し、上野選手のメッセージを支えに乗り越えた。」という記事に感動したので、今日はこれを紹介します。

 

 北京五輪で金メダルを獲得した上野選手が2年後に福岡のイベントに登場。当時1年生だった持原さんがソフトボールを始めるきっかけになったんでしょうね。

 3年生で投手の練習をはじめ、「あこがれの人に手紙を書く」という授業で上野選手に「どうしたら球はまっすぐに行くんですか」と手紙を送ると「キャッチャ―ミットを見て投げること、体のバランスを大事にしていること」と手書きの返事が届いたそうです。

 その後、小学校ではエース、中学は全国優勝経験のある強豪チームの入団。野手に転向。

 

・体の異変が起きたのは中2の3月。鼻血が止まらず、アザのようなものが体のあちこちにできた。県代表のメンバーとして出場する全国大会の直前だった。

・医師の診断は急性骨髄性白血病。点滴で抗がん剤を投与する治療はつらかった。副作用で39度超の熱が続き、髪やまゆ毛が抜ける。言葉を発せないほどの痛みが体中を襲った。

・入院生活を支えたのは、上野選手から届いた色紙。

 

・約7か月間、入退院する日々が続いた。

・抗がん剤を体に入れるたび、副作用に苦しんだが、病室に飾った色紙を見て、「病気に負けない」と気持ちを奮い立たせた。

 

・退院した後も、筋肉のおとろえは想像以上だった。頭が覚えている運動のイメージに体がついてこない。ランニングをすると何度も転んだ。あきらめなかったのは、ソフトボールをもう一度するためだった。

 

・高校になると、体力が戻り、再び練習漬けの生活になった。

・主将として臨んだ最後の県大会は8強入りした。

・今は保育士になるため、短大を目座して勉強する。

 

 いかがでしたか?2学期の道徳の教材にいかがでしょう?最後に上野選手が送った手紙(色紙)を紹介しますね。